みなさんこんにちは。

名護の旅、13回目です。

マラソン以外でも、毎日毎日歩き回り、
ほぼ修行状態な旅行も最終日。

飛行機が夕方なので、午前中どこか行こうということになった。
那覇空港からそれほど遠くないところで、まだ行ったことない観光地・・・
と考えて、平和祈念公園とひめゆりの塔に行くことにした。

子どもたちも小学校の修学旅行、平和祈念公園に行き、平和の礎を訪れたとか。
平和の礎は「へいわのいしじ」と読む。
太平洋戦争の沖縄戦で亡くなった人の名前を記した碑である。
名前は敵も味方も関係なく刻まれている。

沖縄県民となって13年目。
ここらへんでしっかり沖縄戦の実態を知り、平和を享受できるよろこびをかみしめなければいけないのではないか。
うっすらと、きな臭くなってゆく世界情勢。
平和しか知らないわたしたちにできることは、平和を維持する努力である。
そういうことを、年とともに思うようになった。

小学生のころ、夏休みのさなかに必ず3回登校日があって、うち1回は平和教育だった。
生々しい体験談を聞かされたり、おそろしげな戦争物話を読まされたりするのはあまりうれしいことではなく、
「戦争があかんのはもうわかったから」
と半ばうんざりしたものだった。
それでなくても昭和。
まだ戦争経験者がたくさんいて、しょっちゅう戦争の恐ろしさを語られた。

しかし。
あのころは、語るほうもまだ戦争を客観的に見ることができなかった。
とにかく「戦争はあかん」の一点張りだった。
戦争の前後で180度変わった常識を、自分の中で日常にするには、前を向くしかなかったのだろう。
戦争を忘れたい。
一刻も早く戦争のにおいを消し去りたい。
時代の流れは、戦争のにおいがするものを古臭い前時代的なものとみなす傾向にあった。

苦しくて汚く重苦しいあの戦争は忘れて、平和できれいでお気楽な世の中に。
早く、早く。
そういう風潮しかなかった。

だから「戦争はあかん」と言われるたび、
反論するつもりはないが、すすんで学びたいことでもない、と思っていた。
いや、できるなら戦争にまつわる話はしたくない、とすら思っていた。

しかしながら、人は成長とともに食の好みが変わるように、考えも変わる。
戦争話を聞きたくなかったのが、今はむしろ知りたいという気持ちがある。
子どものころ語られつくした戦争の悲惨さを、大人になった今、どういう気持ちで受け止めるのだろう。
そう考えた。
のと、たんに午前中で行けるという短絡的な気持ちだった。

さて。
平和祈念公園やひめゆりの塔は観光地でもあり、バスの便もいいはず。
名護からいったん那覇バスターミナルにゆき、糸満市の平和祈念公園にはすぐに行けるだろうと思っていた。
が。

那覇バスターミナルで行き方を聞いたら、
「えーと、○○番のバスでまず糸満バスターミナルまで行っていただいて、そこから○○線に乗り換えて・・・」
となんだかややこしい。
「直通はないんですか?」
と聞くと、
「申し訳ありません、直通はないんです」
と、係の男性は自分の非であるかのごとく、丁寧に謝ってくれた。
そして、
「乗りかえたあとのバスは、申し訳ありません、あちらの○○バスさんの運航ですので、詳しいことはあちらで聞いていただけますか」
と、わざわざ外に出て案内してくれた。
こんな丁寧な対応ばかりだったら、戦争は起こらんと思った。

言われた通り、バスに乗り、糸満ターミナルまで来る。
那覇や名護と違って、糸満はあんまり観光観光してないように思えた。
バスターミナルも時代が止まってる?と思うくらい、のんびりとした感じ。
古き良き昭和、の「良き」を抜いた感じの建物。(失礼やろ)
植木等が勤めていそうなおもむきがあった。

平和祈念公園もひめゆりの塔も観光地であり、全国から来る修学旅行生たちは、まずここに行くというくらいのところ。
しかし直通のバスを待つひとは少なかった。
そのうえ、バスの本数も少なかった。
1時間に1本レベル。
ほんまにこれで合ってるんやんな?
と、じゃっかん不安になりながらも、あとからやってきた老夫婦に、
「これはひめゆりの塔に行きます?」
と聞かれたら、
「はい、行きますよ」
と自信満々に答えたのであった。

不勉強なわたしは知らなかったのだけど。
平和祈念公園とひめゆりの塔は、同じところにはない。
てっきり平和祈念公園の中に平和の礎とひめゆりの塔があると思っていたが違った。
歩いて行くのがしんどいくらいの距離である。

ひめゆりの塔は、イメージと違い、めっちゃ観光地化していた。
土産物屋のおばちゃんが、
「これ、安いよ、お兄ちゃん、絶対、これよ!」
と大きな声で呼び込みし、客を奪い合っている。
戦争は終わったが、そこは客の奪い合いの戦場であった。
そのストリートだけ見たら、ここが戦争の悲惨さを伝えるところだとは露ほどにも思わないだろう。

わたしたちはとりあえず、先に平和祈念公園に行くことにした。
広大な敷地に名前を刻んだ碑。
丘の上には立派な平和祈念資料館。
かなりでっかい。

路線バスで降りたのはわたしたちと、もうひとりの青年だけだったので、人はそんなにいないだろうと思ったら、ものすごくたくさんの修学旅行生や観光客がいた。
こんなにたくさん来るのだったら、もっと路線バス、使ったって。
なぜかバス会社目線で思ってしまうのだった。

ところで。
わたしたちは旅行中であるからして、でかい荷物を持っている。
しかちくはリュックなので持ち運びしやすいが、わたしはボストンバッグである。
非常にやっかいだ。
重い荷物を持ち歩いて資料館を見るのもなあ。
ロッカーに預けようか。
わたしが荷物問題に頭を悩ませていると、しかちくが、
「そこらへんに置いといたらええやん。みんな置いてるで」
という。
見ると、修学旅行生の荷物がひとまとめにして置かれている。
そこの端っこにいっしょに置いといたら?というのだった。

「えー、もし修学旅行生が先に出て、この荷物の持ち主は?てことになったらいややんかー」
「じゃあどうするん」
「えー」
迷った挙句、
「持っていく」
ことにした。
こうなったらもう修行と腹をくくる。

なかなかの重さのボストンバッグを抱えて資料館に入る。
目を覆う資料の数々。
涙が出そうになる。
悲惨を超えている。
そういうのを見るにつけ、

この荷物なんて、屁みたいなもんやな。
と思うのだった。





この荷物なんてへみたいなもん 001




よーし、こうなったら、ひめゆりの塔でも修行や!
戦争のしんどさに比べたら、荷物なんて!
わたしは腹をくくっていた。
のだが。
ひめゆりの塔資料館に行き、受付の人に、
「よかったらお荷物預かりますよ」
と言われたら、
「そうですか!よかった、お願いします!」
と二つ返事で差し出したのだった。

つづく

それでは~


とりぶう