とりぶう の 宮古島日記

宮古島移住者の生活。いろいろなことがあるけど、基本的に楽しい方向で生きていく方針です。夫しかちくと認知症お義母さんとの3人暮らし。

2009年05月

くしゃみについて

(494)

男というものがみんな小さな意外性を持っているように、女というものも探せばどこかにかわいげというものがあります。

わたしにも誇れるかわいげがひとつあります。

それはくしゃみ。

「いくしん」と聞こえるというわたしのくしゃみは独特らしく、

10代の後半ころから、くしゃみをすると、「かわい~」のシャワーをあびてきました。

一部に『カトちゃんのくしゃみ』という評価もありましたが、無視していました。
(都合ええな!)

かわいいといわれるのはうれしいものです。

足のつめでも肩甲骨のくぼみでも、自分が本来もっているものをかわいいといわれると、女は錯覚します。

くしゃみだけでなく、ほんまはあたしそのものがかわいいんやろ~?

とひそかに心でにやにやしてしまいます。
(断じてくしゃみだけや!)

しかし。

すこしまえの冬のこと。わたしは風邪をひきました。

鼻がむずむずして、くしゃみが出て仕方ない。わたしは始終くしゃみをしていました。

するとしかちくが、

「くしゃみ、でかなったなあ・・。」

とポツリと言います。

まるでゾウのおしりを見て『でかいなあ』と思わず言ってしまったような口ぶり。

なにいうてんの?あたしのくしゃみはほめるとこやんか。

くしゃみほめへんかったら、もうほめるとこないで。
(どんだけくしゃみ頼みやねん!)

わたしが気分を害していると、

「最近ずっとあのくしゃみ、してへんもんなあ。」

と、クジラ長いこと食べてへんわあというのと同じトーンで言います。

わたしはちょっと不安になりました。

長年わたしの売りだった「いくしん」が自分の知らない間になくなっている?わたしはあらためて自分のくしゃみを観察しました。

は、は、は、はーーーっくしょーい!

なるほど。すこし威力が増したようです。
(かなりやろ!)

まるでつぼみだったのが、大輪のバラが咲いたよう。
(どんだけ美化してんねん!)

しかしいったんこのくしゃみに慣れてしまうと、「いくしん」では物足りません。

何度か「いくしん」に戻る努力をしてみましたが、のびたゴムは戻らない。

わたしは親のカタキのようにどでかいくしゃみを

はくしょーい、はくしょーい!

とまき散らしていました。

そうして、あんまり大きいくしゃみをするものだから、しまいにはろっ骨が痛くなる始末。

くしゃみをしたあと、いててててとあばらをおさえているのでした。

ああ、「いくしん」は風邪とともに去りぬ・・・。
(単なる年やろ!)







(追記)

みなさま、いつもご訪問、コメントありがとうございます!
個別にお返事できなくて申し訳ありません。

いろいろと忙しくてねえ。
きのうは前浜ビーチで、美ぎ島ミュージックコンベンション2009のリハーサルなんかがあっちゃって。
暑かったから疲れたよ~。
って、見に行っただけなんですけどね。(なんやそれ!)
なぜ、リハーサルかというと、その後仕事があったので、リハーサルしか見られなかったということです。
けっこう、忙しいんですよ。(だれに対する言い訳?)
去年はナマ山崎まさよしや絢香が拝めたこのイベント。
今年はスガシカオが最前列で拝めました。(リハーサルやろ!)
『せかいじゅうのクエスチョンマ~ク・・・』
と気持ちよさそうにうたうスガシカオさんは、ほんとに美声の持ち主。
リハーサルの間じゅうも
「気持ちいーねー」
と言ってました。
できるなら本番もみたい~と思いながら前浜ビーチを後にしました。
帰りの自転車がきつかったです。
3日間つづくこのイベントは各地からパッケージツアーも出てるそうなので、ぜひ興味のあるかたは来年参加してみてはいかがでしょうか。

ところで、昨日の『ニューシネマパラダイス』に現実は厳しいというコメントたくさんありがとうございました。ほんとに映画は見に行かなくなりましたよね~。
宮古島にも映画館はひとつありますが、かなり空席があるようです。
このままじゃあぶない、と思いながらわたしもいったことがないんですけどね・・・。

あっという間にもうすぐ6月。
本土のほうも梅雨入り間近ですね。
さいきんわたしはおなかをこわしやすくなっています。
この季節、よくなるんですよね。
みなさまもお気をつけくださいね!
それでは。
また来週もお待ちしています!
お暇なとき、過去記事を読んでいただけたらうれしいです!
とりぶう

ニューシネマパラダイス・映画館が!

(493)

町に一軒だけある映画館『てんびん座』には、今日も客は少なかった。

一階席に5人、二階席に2人。

映写技師の中林さんはため息をつく。映画の時代じゃないといわれて久しい。

中林さんは子どものころから映画が大好きだった。

映写技師になりたくて、中学のころからこの『てんびん座』に通い続けた。

そこで技師をしていた通称『徳さん』と仲良くなり、映画技師のてほどきを受けた。

徳さんが引退してからは、中林さんが技師としてやってきた。

それと同時に経営もひきついだ。

最近は映画がDVD化されるのがはやく、この田舎町の『てんびん座』にヒット作が上映されるころ、テレビではDVD化のCMが流れ出したりしている。

DVDなんか、味もそっけもない。映画は大きなスクリーンで見てこそ醍醐味がある。

中林さんはずっとそう言い続けて、DVDプレイヤーを買わなかった。

しかし妻が韓流ドラマにはまって、勝手にプレイヤーを購入した。

これも時代の流れなのか。

近藤真彦が主演した映画、『ハイティーンブギ』を最後に、『てんびん座』が満席になることはなかった。

中林さんは、『てんびん座』の閉めどきを考えていた。しかし、迷いもあった。

自分が徳さんに手ほどきを受けたように、中林さんもある少年に技師の手ほどきをしてきた。

『タク坊』と中林さんが呼んだ少年は、もう35歳は越えてるはずだ。

子どものいない中さんは、タク坊をかわいがった。『ニューシネマパラダイス』という映画が大好きな、色白の目の大きな少年だった。

タク坊は中林さんにいつも言った。

「オレさ、大人になったらここに戻ってくるよ。ぜったいそれまで映画館つぶさないでよ、中さん!オレがここ、受け継ぐからさ。オレの夢なんだ!」

中林さんは、かつての自分をタク坊にだぶらせていた。

タク坊がもどってくるまでは、この映画館を続けていたい。

上映が終わり、客が出て行く。中林さんは館内の掃除をはじめる。

「中さん。」

呼びかけられて中林さんがふりむくと、スーツ姿の男が立っていた。

「・・・・タク坊!戻ってきたのか!」

以前よりずいぶん日に焼けてたくましくなったが、大きな目はあいかわらずのタク坊だった。

「ひさしぶり。中さん、変わんないなあ。」

タク坊はなつかしそうに言う。

「いや、こりゃ見違えたよ、タク坊。またすっかり立派になって・・・。」

「カッコだけだよ。それより、映画館まだやってて安心した。」

「当たり前だよ。タク坊、おまえぜったい戻ってくるって言ってただろ?」

「言ったけどさ。中さん、だれかに売っちゃうんじゃないかとひやひやしたよ。」

「何言ってんだ。ここはおまえさんが引き継ぐって約束じゃないか。」

「覚えててくれたんだ!さっすが中さん!

オレさ、この場所に大きなショッピングセンター作るの夢だったんだよね~!」

和歌山で霜柱

(492)

かなりヒマだった小学校時代。

毎日なにかおもしろいことはないかと考えていました。

でもめんどくさいことはいやだ。

体を使うこともいやだ。

お手軽で感動できるものはないかと日々考えていました。

現代人といっしょです。
(軽く風刺するな!)

ある秋の日。なにかの本で『シモバラ』というものを作ろう、という記事に出会いました。

そうです。あなたのおなかにも、わたしのおなかにもどっしりと根付いているものです。

中年になると、ほんとお手軽に作ることができます。

それは『シタバラ』か。

シモバラの作り方はいたってカンタン。夕方、外にでて土にまるく水をまいておくのです。

そうすると次の日には立派なシモバラができるという寸法。

写真では立派なシモバラが、きらきらと王冠のように輝いています。これはお手軽化学実験!

虫めがねで紙を焼くことに飽きていたわたしはとびつきました。

わたしはわくわくしながら土に水をまき、立派にできたらみんなに自慢してやろう、と興奮を抑えるのに必死でした。

晩ごはんのときでも、

「あのな、明日・・・・。」

と言いかけて、待てよ、これはできてからのお楽しみと、言いかけた言葉をごはんといっしょに飲みこんでいたのでした。

そのときのわたしはひと足早く『平成』という元号を知った故小渕総理の気分でした。
(そんな大層なことか!)

さて翌日。

わたしは靴をはくのももどかしく、外に出てみました。

どうやろどうやろ?シモバラはきらきら輝いてるやろうか?

わたしは水をまいたところに直行しました。

しかし、シモバラはできていませんでした。

土はなにごともなかったように、頑固な顔をしています。

わたしはとてもがっかりしました。

当たらないだろうと思って買った宝くじが、やっぱり当たってなかったくらいのがっかりでした。
(そんなにがっかりしてないやん!)

でもこんなことでお手軽な感動を逃してたまるかと思い、毎日せっせと土に水をまいていました。

場所を変えてもみました。
(すでにお手軽ちゃうぞ!)

結局、一度もシモバラはできませんでした。

それもそのはず。わたしがせっせと作ろうとしていたのは『シモバシラ』。寒くなったとはいえ、

秋の和歌山で『霜柱』が立つはずもなく、わたしの感動ははじめっから負け試合なのでした。

その後、虫めがねで紙を焼くに戻ったわたしは、

紙をまるく焼くことで、シモバラに対する思いも焼いてしまいました。

悟りの境地と下着

(491)

「おかーさんっ!」

タマヨが帰ってくるなりナツミさんに向かって言う。

「あら、おかえりなさい。どうしたのよ大声出して。」

「どうしたのじゃないよっ!何、この5本指ソックス!しんじらんないよっ。恥かいたじゃんっ!」

タマヨが黄色の5本指ソックスを両手に持ってナツミさんに見せる。

「な~んだ、そんなこと。」

ナツミさんが落ち着いて日本茶をすする。

「な~んだ、じゃないよっ!今日のダンス発表でもさ、足あげるとこがあって、あたしだけ5本指しっかり分かれててさ、みんな笑ってるんだよ!

お母さんみたいなおばさんにはわかんないだろうけど、女子高生には死にたいくらい恥ずかしいことなのっ!」

タマヨがソックスをナツミさんに投げつける。

「死にたいなんておおげさねえ。あのね、タマヨ。悟りとはこういうことなのよ。

どんな場合でも平気で死ねるということじゃなくて、どんな場合でも平気で生きていけるということなの。わかる?」

ナツミさんが深くうなずきながら言う。

「ああ、やだ。また始まったよ、お母さんのイキガッタ論。」

「わたしなんか、日々これを実践してるわよ。つらいことや恥ずかしいことがあっても平気で生きていけるように、自分を強くしてるの。」

「すぐに話すりかえてさ。まったくむかつく。」

タマヨがふくれる。

そのとき玄関でベルがなる。ナツミさんが出る。

お隣のアイコさんが立っている。

「あら、アイコさん。こんにちは。」

「こんにちは。これ、いま外を歩いてたら飛んできたんですけど。」

アイコさんがなにやらナツミさんに手渡す。

「や~だ、ごめんなさいねえ。今日は風が強いからかしら。おほほほほ。」

ナツミさんが礼を言って、アイコさんが帰る。

「タマヨ、今の聞いてたでしょ?さっそく悟りを実践してたのよ。」

ナツミさんが鼻の穴をふくらませて自慢げに言う。

「何があったってわけ?」

「洗濯した下着が飛んでいってたのよ。それをね、お隣のアイコさんが拾って持ってきてくれたってわけ。」

「ええっ、恥ずかし~。」

「でもわたし、堂々としてたでしょ?恥ずかしいことがあっても平然としてる!もう悟りの境地なのよね~。」

「ってか、それあたしのじゃんっ!!」







(追記)

みなさま、いつもお付き合いいただきありがとうございます!
今日のネタの『どんな場合でも平気で~』は正岡子規が言ったことです。
こんなネタに使いやがって、と正岡子規もトホホでしょうか。
わたしはこの言葉が好きで、よく思い浮かべています。
平気で生きていくというのはできそうで、なかなか難しい世の中。
開き直りは処世術のひとつですよね。

ところで、以前、クーピーちゃんが『かまぼこおにぎり』が宮古島にあるか?
と聞いてたことの続編の答えです。
この間はない、と答えたのですが、じつはあるのです。
パイナガマビーチの前のコンビニ『COCO』においてあるそうです。
食べた人は『わりとおいしい』と言ってました。
今度機会があればチャレンジしてみます。

今日はわたしの住んでる地域で『ハーリー』というお祭りがあります。
2年前、はじめてこのお祭りを見に行ったときは、まだブログもやってなくって、おまけに宮古島の右も左もわからなくって、ただただ不安と期待とがうずまいていました。
でも、何があっても平気で生きてゆく覚悟をしていれば、どこにでも居心地のよい場所をつくれるのですね。
人生は死ぬまで通過地点。
『不幸駅』が終着点ではない。
居心地が悪ければ、さっさと出て行ったらいいのだ。
って、これもだれかが言ってました。(受け売りばっかり!)

いつも応援していただいて、ありがとうございます!
みなさまのご訪問とコメントはわたしの元気をつくってくれます。

またあしたもお待ちしてますね!
とりぶう

しあわせの黄色の筆洗

(490)

わたしは子どものころ、うらやましがることを日課にしていました。

だれかが新しい靴を買ってもらったのを見ると、いいなあ。

かわいいシャーペンを持ってたら、いいなあ。

鼻血を出したら、いいなあ。
(ええか?)

という具合なので、いそがしいったらありゃしない。

目を皿のようにして、なにかうらやましいごとねーがー、となまはげのようにうろついていたのでした。
(いやな小学生やな!)

中でも、いちばんほしかったのが『黄色の筆洗』。

黄色のプラスチックでできた筆洗いバケツは、わたしのあこがれナンバーワンでした。

それまでは、みんなデルモンテのパイナップルの空き缶なんかに、針金を通してもち手にした筆洗を持っていました。

ところが。

ひとりが黄色の筆洗を持ち出すと、キリスト教が広まるように、われもわれもと後に続く子が増えました。

筆洗は立派でも絵はへたくそやのになあ。
(大きなお世話!)

しかし、もちろんわたしも親に懇願しました。

両親はまたとりぶうのほしがりグセが始まったとばかりに、

「人は人!おまえは人が死んだら自分も死ぬんか。」

ときっぱり言い捨てて終わりでした。

いつもはなんでも人並にできたらええっていうくせに。こんなときだけ、人は人かよ。

わたしは矛盾というおみやげつきで谷底に突き落とされた獅子の子でした。

それでも何度か『筆洗がほしい』といい続けていたある日。

「これ、あたらしいやつ。」

と父がわたしに言いました。

なんと、新しい筆洗を父は内緒で用意してくれていたのです。さすがお父ちゃん!わたしのことはよくわかってくれてるんだ、とわたしはうれしくなりました。

父が手渡した筆洗は、ぴかぴかに光る空き缶の筆洗でした。

ええ~~~!それ~~~~!?

わたしは人生ゲームの上がりかけのときに、ふりだしに戻れと言われた気分でした。

こんなにも意思疎通ができないなんて!と悲しくなりました。

しかし、姉も兄も空き缶の筆洗でがまんしているのに、わたしだけ特別というわけにはいかないのはわたしもうすうす感じていました。

しょうがなく空き缶の筆洗を使い続けて小学校時代は終わったのでした。

わたしが念願の黄色の筆洗を手に入れたのは中学のとき。

でも、そのころは空き缶のほうがむしろかっこいい、というようなくだらん風潮が出来てしまって、

なぜこの風潮が小学校のときに来なかったのか、と悲しい気分になったのでした。

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