とりぶう の 宮古島日記

宮古島移住者の生活。いろいろなことがあるけど、基本的に楽しい方向で生きていく方針です。夫しかちくと認知症お義母さんとの3人暮らし。

2015年06月

水をかけたら復活!?

みなさんこんにちは。

今朝、そうじをしているときのこと。

窓の桟にヤモリの干からびを発見しました。

宮古島ではヤモリがクモくらい大量にいるので、窓の桟に干からびのヤモリを見るのも1度じゃ2度ではなく。

しょっちゅうとは言わないまでも、2ヶ月に1度くらいは見るというひんぱんさ。

そのためふだんなら、またか、という思いしかないのですが。

今日はなぜかヒマ人発想が浮かんできました。

ちなみに、わたしの脳の半分はヒマ人発想でできています。

そして、残りの半分はナマケモノ発想でできています。

自慢はこのくらいとして。(自慢なん?)

この干からび、水で戻したらどうなるやろう?

しいたけとかきくらげとかわかめとか、乾燥したやつらは水で戻したらふっくらとして生き生きする。

この干からびヤモリもひょっとしたら、ふっくらとして見た目生き生きするんではないだろうか?

と考えました。

さっそく外につまみ出し、水をかけました。



63a269c1.gif





干からびヤモリは、すでにメッシュのような皮になっていて、足はしわしわでひしゃげています。

水をかけてしばらくおきました。

何事かと心配したアリたちが集まってきました。

こんなところにヤモリさんが干からびてはるわ!

と思ったのかどうかはわかりませんが、わらわらと集まって運び出そうとします。

わたしは、それは困る!壮大緻密な実験の最中に何をしてくれる!

とばかりにアリたちに水をしゃーとかけてやりました。

蹴散らされたアリたちは遠巻きに眺めるしかないようでした。

よし、それでよい。

干からびヤモリは若干ふくらんだ気配が見えます。

ひょっとしたら剥製並みに生きた状態に戻るかも!?

と思いもうしばらく見つめてみました。

しかしながら。

脳みその中はヒマ人とナマケモノが1:1で仲良く同居してるのですが。

実際にわたしは掃除中なわけで。

それをずーっと見ているわけにもゆかず、ちょっとその場を離れました。

時間にして、15分ほどでしょうか。

戻ってみると、そこに干からびヤモリはいませんでした。

忽然と姿を消していました。

ひょっとして、ヤモリは干からびから復活して、元の姿に戻ったのか!?

復活しすぎて自分の足で歩けるようにさえなったのか!?

だれにも聞く相手はいませんでした。

あとにはアリがなにやらわけアリな動きをちょろちょろしているだけなのでした。

残念きわまりない。

こうなったら、あとは皮だけのヤモリが歩いてるのを発見するだけだなあ。


それでは~


とりぶう

記憶にございません

みなさんこんにちは。

今日、しかちくとウォーキングしていたとき。

マンションでも建てるのか、地面を掘り返して土が山盛りになっているところを見て、

なにかに似てるなと思いました。

ああ、あれだ。

と気付き、思わず、

「エアーズロックみたい!」

と天真爛漫に言ってしまったのですが。





c042d9c1.gif





しかちくが天真爛漫に、

「それ、言うの3回目」

と言いました。

ひざからくずれそうになった。

2回目ならまだしも、3回目とは。

ああ、わたしの記憶力よ、しっかりしてくれ!

と叱咤激励して、ようやく自分をたてなおし。

気恥ずかしさを隠すように、すぐそばの葉タバコ畑が刈り取られてたのを見て、

「あ、ここの畑、ぜんぶ刈り取られてるな」

と言ったのですが。

「それは2回目」

と言われ撃沈しました。

もう立ち上がれる気がしない。

わたしの知らないところで、わたしが言葉をしゃべっているとしか思えない。

「あたし、大丈夫やろか?」

と聞くと、

「大丈夫やろ。とくに興味のないことを社交辞令で言うから、記憶に残ってないだけや」

となぐさめのような言葉をかけられ、どうにか歩き続けることができました。

さて。

家の近くに来て、いままで建物があったところが更地になり、そこがさらに畑になったので、

「あ、ちゃんと畑になってる」

と何気なくつぶやいたところ。

しかちくが、

「・・・・」

という反応。

「あ、これは知ってる知ってる、前に言うたの知ってるから」

とあわてて記憶はありますアピールをしたのですが。

はっきりとした記憶はない。

たぶん言うたやろうな、といううっすらとした記憶があるだけです。

興味を持たないことをいい加減にしゃべるとこんなことになるわけだとしたら、

これからは興味を持ったことだけをしゃべろう。

とすると。

ほぼ下世話な話と食べ物の話になるな。

いや、これでは人格が疑われる。

記憶に残ってなくても、社交辞令な話は、わたしの人格をかろうじて保つのに役立っているのかもしれんなあ。

それでは~


とりぶう

吾輩はコモである

みなさんこんにちは。

今日は金曜日。

文鳥モコ目線の日記です。

ああ、金曜日はいい。

金曜日好き。

一週間の中でも、月曜日とか火曜日とか、好かれない曜日はちょっとかわいそうだと思う。





吾輩はモコである。

文鳥である。

さいきん気付いたのであるが、しかちくは残念な性質がある。

どこが残念なのかというと、名前を覚えるのがからっきしダメなのである。

人の名前はもちろん、モノの名前も地名も、まず覚えていない。

だから、

「オレは地理を勉強する意味がわからん」

と豪語している。

なんでも、地名を覚えてもすぐに変わる。

ソ連はロシアになった。

浦和か大宮かいつも迷っていた埼玉の県庁所在地はいま、さいたまである。

浦和か大宮かさいたまか、いまでは迷いどころが3択になってしまっている。

いったん覚えても役にたたない。

合理的を信条とするしかちくにとってみたら、そういう二度手間は大嫌いなのらしい。

今日も、とりぶうが、

「バナナいっぱい冷凍してるから、週末バナナジュースにしよう」

と提案した直後、

「いや、スムージーていうんかな」

と言い直したのに対して、

「おんなじもんやろ?なんでいちいち名前かえたりするんやろ。

ああいうのオレ、いややわあ」

と立腹している。

たしかに同じものなのに名前が複数あるものはややこしい。

レギンス、カルソン、スパッツ、ステテコ、モモヒキ、

きっとしかちくには違いがわからないはずである。

そのうえ、新しい名前の洋服が次々に出てくる。

彼にしてみたら、帽子は帽子、シャツはシャツ、ズボンはズボン、と統一してほしい。

パナマ帽だとか、ガウチョパンツとか、ややこしくてしょうがないということなのである。

だから文鳥の名前は一貫してモコだというのは、彼にとってみたらありがたいことなのだろう。

さて、その吾輩であるが。

今日、かごの中で飛び回っていて、ツメがひっかかり、さかさまになったまま動けなくなった。

自力でどうにか動こうとするものの、吾輩のツメは、吾輩の意思に反して金網をがっちりとつかんだまま動かない。

絶妙にツメがからみあって、足をばたつかせてもびくともしない。

あせってもどうにもならぬ。

吾輩はとたんに気が遠くなった。

あらゆるものがさかさまに見える。

このまま世の中をさかさまに見る人生を送るのだろうか?

白を黒という人生。

カラスは白いし、豆腐は黒い。

夏は寒いし、冬は暑い。

やさしさは無駄なものだし、借金は必須。

そうして吾輩は、






3e5fc66b.gif



コモである。

そんなことを考えていると、とりぶうがあわててやってきた。

うむ。

とりぶうは黒い。

さかさまになっても、黒いものは黒いのだ。

ようやく遠くにいった気が戻ってきた。

とりぶうの手を借りてもとに戻った。

そして、ツメを切られた。

とりあえず体を拘束されたのは苦痛であるので思いっきり噛んで反抗してみた。

なにをしやがる、と思った。

絶対に痛いに決まっている。

が、そうでもない。

案外すっきりしたのは事実である。

さかさまにならなければわからないこともあるのかもしれぬ。





モコは放鳥するたびだんだん飛ぶのがうまくなってゆくので、かごに入れるのが大変なんだなあ。


それでは~


とりぶう

5分計ってみせましょう

みなさんこんにちは。

砂時計はかなりうきうきします。

砂がきっちり3分で落ちるよさ。

何度やっても3分になる。

とくに精巧な機械が入ってるわけでもないのに、シンプルに3分が計れる。

あれはすごい、と思っているのですが。

数年前。

娘うさQから誕生日プレゼントに砂時計ならぬ、オイル時計をもらいました。

100円ショップで売っているもので、砂のかわりに色つきのオイルが入っています。

それが水中に浮かんでいて、ひっくり返すと、下から上にオイルが移動する形式。

いわば砂時計の反対。

水の中を涼しげに緑色の小さなオイルのつぶが、ぷつぷつゆらゆらと移動するのを見るのはなかなかいやされるもの。

しかし、落ちる砂とちがい、水中を上昇するオイルなのだから、きっちり何分とかは計れまいと思っていました。

そこで計ってみました。

よーい、スタートで計ってみました。

すると。

オイル時計はきっちり5分で上昇し終わりました。







48a8846b.gif





何度やってもきっちり5分。

100円ショップのものなのに、こんなに正確だとは。

いまのところ、5分を計測しなければならない瞬間はほぼありませんが、

使える時計という厚い信頼をよせています。

オイル時計、反対にしたら「老いる」じゃなくて「老いない」時計。

一家に一台ですよね、奥さん!(どこが)

ちなみに。

5分待って食べるカップめんは、5分待ったためしがないんだなあ。

それでは~


とりぶう

いつも裸足だった

みなさんこんにちは。

宮古島ではいろんなおじいがいて、

移住者のわたしたちにも温かく声をかけてくれます。

なかでも、『裸足のおじい』とわたしたちが呼んでいたおじいは出色でした。

裸足のおじいは、名前そのまんま、いつも裸足。

農作業の間も、自転車に乗ってるときも、いつも裸足でした。

サトウキビ畑でおじいの姿が見えると、わたしたちは声をかけるのが常。

おじいは大きな声で、

「おいっ、手伝っていけ!」

とにこにこしながら手招きするのでした。

おじいが道端で休憩してるときに会うと大変。

わたしたちがジョギング中であっても、

「おい!こっちこい!こっちこっち!女の人のほう、こっちこいって!」

と大騒ぎ。

おじいにわたしの名前を告げたことはないので、「女の人」と呼ばれるのは間違いではないけど、

さすがに「おねえちゃん」じゃないし、「おばちゃん」は失礼だしと思ったのか、おじいなりの苦肉の呼び方なのだと笑えてきました。

おじいはなんのためにわたしを呼ぶのかというと、握手するため。

おじいは女の人と握手するのがとても好きなようで、知り合いの女性が見えると、握手しろというのが定番なのでした。

おじいの手はいつも土で汚れているうえに、力がやたら強い。

だから最初の何回かは握手したのですが、その後は適当にごまかしていました。

暑くなってきたので、最近おじいの姿が見えないなあと思っていたら。

おじいは亡くなっていました。

交通事故だったそうです。

おじいは沈んだ顔を見たことがないくらい、いつも元気だったので、病死ではないというのはとてもしっくりきました。

親戚でもなく、いや、むしろ遠くの親戚よりははるかに頻繁に会って、

本名はお互いに知らなくて、わたしなんか「女の人」と呼ばれてたし、

会えば挨拶程度の会話を交わし、にこにことした笑顔を交換し、それだけの間柄。

その人が亡くなるということは、なにか不思議な気分でした。





d58e4a41.gif





呆然というほどの感慨もないのですが、

おじいのサトウキビ畑を通るたび、おじいはもういないんだということをいちいち頭に叩き込みます。

それでもまだ実感がわかず。

ふと、

もう一回握手しておいてあげればよかったなあ、

なんて。

わたしのごとき中年女と握手したいといってくれる人がいたということが、ありがたいことだったんだと思います。

サトウキビの風景は、移住した8年前とかわりはないのだけれど、

わたしの気持ちは8年前とは変わってゆきます。

悲しい出来事があるたびに思うのです。

いろんなことがありがたいと思える人間になりたいと。


それでは~


とりぶう
読者登録
LINE読者登録QRコード
ギャラリー
  • うちにピカソ
  • これもいわゆるピロートーク
  • 春の目安
  • 山姥の変身
  • とりぶう家の食卓12~そうじゃないけど食べてしまうアジフライ
  • 自己満足が自分を幸せにする
  • すもうの話
  • 義母とエプロン
楽天市場
アーカイブ
カテゴリー
楽天市場
  • ライブドアブログ