とりぶう の 宮古島日記

宮古島移住者の生活。いろいろなことがあるけど、基本的に楽しい方向で生きていく方針です。夫しかちくと認知症お義母さんとの3人暮らし。

2017年06月

落ち着くんです

みなさんこんにちは。

あまりにも暑いので、ギャッツビーの汗ふきシートで体中ふくと。

ときどき凍える。

しかし、それは涼しいところにいたときの話であって、

炎天下で洗濯物を干したりしていると、3分で大汗かく。

ウルトラマンか。

と突っ込みたくなる金曜日。

モコ日記です。







ぼくはモコです。

三代目文鳥です。

人間さんには、「お気に入り」というのがあるようです。

お気に入りの店、お気に入りのベンチ、お気に入りの散歩コースなんかです。

そこにいると落ち着いて、いつもの自分になれる場所。

なにか悲しいできごととか、気をつかうことがあったりしても、そこに行けばいつもの自分を取り戻せる場所です。

ぼくにもそんな場所があります。

それはしかちくさんの肩です。




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しかちくさんがトイレに行ったり、用事をしていてかまってくれないときには、とても不安になります。

とりぶうさんがここぞとばかり、

「モコモコモコモコ、モコモコ、モコモコ、モコ、モコッ!」

と連呼します。

大安売りみたいに連呼します。

そんなに何度呼ばれても、とりぶうさんのところに行っても落ち着かないので行かないことにしています。

でもとりぶうさんはあきらめずに、

「モコモコモコモコ、モコモコ、モコモコ、モコ、モコッ!」

と呼び続けます。

ふだん根気がないのを売りにしているのに、こういうときは根気があるんだなあと感心します。

感心するのだけど、やっぱりぼくが落ち着くのはしかちくさんのところなので、とりぶうさんのほうに足が向くことはありません。

だからこのごろ、部屋じゅうに「モコモコ、モコモコ」が響き渡っています。

落ち着かないなあと思います。






モコはますますしかちく一辺倒になってきた。

うらやましすぎて血圧があがるんだなあ。

それでは~


とりぶう

街道をゆくをゆく

みなさんこんにちは。

1971年といえば、わたしが生まれた年なのだけど。

故・司馬遼太郎さんが『街道をゆく』を書き始めた年でもあるらしい。

『街道をゆく』というのは、43巻もある司馬遼太郎さんの紀行本。

司馬遼太郎といえば歴史小説。

だけど、街道ファンも多い。

わたしが書店で働いていたころ、『街道をゆく』の新刊が出るたび、

一定ファンが買い求めていったのを覚えている。

そのファンたちはもれなくおじさんかおじいさん。

わたしの中で『街道をゆく』シリーズに手を出したら人生もあがりかけなのだと思っていた。

そんなとき、司馬さんが急逝した。

大々的に追悼・司馬遼太郎フェアをやると、

おじさんやおじいさんだけでなく、おばさんもおばあさんも若い人も、

こぞって司馬さんの本を買っていった。

東大阪に住んでいた司馬さんは、東大阪市民にとても愛され。

わたしの勤めていた書店も東大阪にあったので、東大阪市民の悲しみはダイレクトに伝わってきて、

ひとびとは親戚のおっちゃんみたいに、その死を悼んだ。

東大阪に住むひとびとにとって、それほど司馬さんは特別な存在であった。

わたしも司馬さんの本は何冊か読んだ。

どれも歴史小説だけど、どれも非常におもしろかった。

歴史小説というとかたいイメージがあり、敬遠していたけど。

司馬さんの小説は、それこそ親戚の物知りのおっちゃんに語られてるようにするっと入ってきて、

そのうえ、表現がとても的確で美しく、

ひとびとがそんなにも司馬さんを愛する理由がよくわかった。

で。

このあいだ、ふと、思い立ち。

そういえば、『街道をゆく』は人気だったなあ、

と思い出したので、最初の3巻を買った。

そして毎晩、音読しはじめた。

わかったことは、これ、めっちゃおもしろいやんか!

ということであった。

司馬さん47歳のときに書き始めたそうなのだけど。

ほぼ同世代の今のわたしにとって。

『街道をゆく』の視点が、するっと入ってくる。

あのころ、おじさんやおじいさんが待ってましたと『街道をゆく』の新刊を買っていった気持ちが、

とてもよくわかるのだ。





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自分は若い若いと思ってたけど。(ほんまかいな)

人生あがりかけなんかもしれん。

あと50年くらいは生きる気はあるけど。

しかし、やはり司馬さんはすごい、と思う。

知識量も洞察力も圧倒的であるのに。

そこはかとなく、子供みたいに素直な好奇心がかんじられる。

そのバランスがちょうどいい。

すごい作家って、そういうことなんだなあ、と思う。

毎晩、『街道をゆく』をゆくのは、いまのところ、

わたしのささやかな楽しみなんだなあ。

それでは~


とりぶう

海獺

みなさんこんにちは。

とくに語ることも持たないので、ふだん時事ネタは扱わないようにしているの
だけど。

めずらしく、今話題の時事ネタを扱おうと思う。

海獺。

うみナントカ。

と書いてラッコと読むんだって。

どれが「ラ」でどれが「ッコ」やねん。

キラキラネームか!

まあまあ、そこはまあ。

と、ひと悶着終えたところで。

なんと。

国内最高齢のラッコのパタが誕生日に氷のケーキを贈られたんだって!(今話題なん?)

ラッコがそれほど長生きするとか、

氷のケーキはうれしいんか?とか、

そういうことは今回はどうでもよくて、

ラッコはラッキーやな、

ということです。




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世の中には、あまた生き物がいるけれども。

存在しているだけでかわいいと思われるものは、そんなに多くないはず。

中でもラッコのかわいさったら!

あのふわふわぐあいと、短い手足をちょこちょこ動かして食べる仕草とか、

なにもかもがリアルぬいぐるみじゃねーか!

と、思わせるラッコ。

ふつうに生きてるだけなのに、

かわいい~と思われる。

ふつうに生きてるだけで気持ち悪い~と思われるものたちとは大違いである。

ほんま、不公平である。

どうしてそうなんだよ、と神様を恨む。

なんでやねん、と思う。

その点、ラッコにその悩みはないはず。

あ~あ、うらやまし、と不細工なセイウチあたりは思ってるのかもしれん。

て、だれが不細工なセイウチやねん!(なんの逆ギレ?)

ラッコのようなかわいいものどもは、見てて飽きない。

水族館でもずっと見てたいと思う。

そして、一匹ほしいと思う。

あの顔が白いやつ、一匹おくれ、と思う。

ところで。

ラッコには顔部分が白いやつと、茶色いやつがいて、

かわいいのは断然、白いやつなんだけど、

あの違いはなにかというと、

ずばり、年齢なのだって。

白いやつほど年寄りなのだって。

人間だってそうだけど、頭が白いのは年寄り。

黒い頭は若者。

しかし、人間は頭が白くなるとかわいくなくなるのに。

ラッコは白くなったほうがかわいい。

そこもラッキーだと思うんだなあ。

それでは~


とりぶう

やわらかな逆ギレ

みなさんこんにちは。

草木も眠る丑三つ時でも、

一番暗い夜明け前でも関係なく。

目を覚ますのは、

クーラー切れ時。

熱帯夜が始まった宮古島では、クーラーなくては寝られない。

一晩中つけてたら寒くなるので2時間タイマーで寝るのだけど、

切れたとたん起きてしまう。

起きたらとりあえずトイレに行ってお茶を飲んで再び、クーラーを2時間タイマーにして寝る、

というのがここのところの毎晩である。

先日。

そんなクーラー切れ時にトイレに行こうとすると。

しかちくが不意に目を覚まし。

「どうしたん?」

と聞く。

「トイレいくねん」

と答え、トイレに行き戻ってくると、しかちくがわたしのふとんのほうにどっかりと転がってきて寝ている。

もう~。

と思いながらお茶を飲み、クーラーをセットしていると、また、

「どうしたん?」

と聞く。

「暑いからクーラーつける」

と答えたあと、

「しかちゃん、もうちょっとそっち寄ってくれる?あたしの場所がないねん」

と丁重にお願いすると。

しかちくは、

「お願いです、もう話しかけないでください」

と言いながら、不服そうに自分のほうに転がっていった。




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「はああ~~?」

と思わず声に出した。

なんだよ、その丁重な逆ギレは!

あんたが話しかけてきたんやんか!

と詰め寄りたかったのだけれど。

本人はすでに寝ていて、というか、もともときっと覚醒していなくて、

ぼんやり頭のままなので、案の定。

朝起きてもなにも覚えていなかった。

もともと寝言がちな人であるのが、夏のほうが頻度が高いもよう。

真夏の夜はそういう奇怪なしかちくが現れるので要注意であるなあ。

それでは~


とりぶう

一発勝負で占う

みなさんこんにちは。

古代、卑弥呼の時代とかそんなときには。

吉凶を占うことが、上に立つ者のひとつの大きな仕事だったと思われる。

亀の甲羅とか、牛や鹿の骨とか、水鏡とか、そういったものを用いて、

「今年はいい感じ!」

とか。

「今年はやな感じ!」

とか。

占っていたと思われる。

現代は、占いでなにかを決めることはほぼなくなってはいるものの。

ゲン担ぎというか、これができたらヨシ的な、個人のこだわりがあると思う。

わたしにも、そういう指針となるべきものがある。

それは、逆上がりができるかどうか。

できたらまだまだ元気だという証拠。

自分の中では、去年できたのだから今年もできると思ってる。

老化が加速度つけて進んでいるにもかかわらず。

逆上がりは今年もできると思っている。

のであるが。

先日、しかちくが、

「もうムリやろう?」

とか言い出したので、火がついた。

「できるよ」

「いやあ、ムリちゃう?」

「ぜったいできるって!!」

「ほんまにい?」

「ほんまに!できる!」

と、お互い主張し。

成り行き上、逆上がりできたら好きな服を買ってくれるということになった。

ただし、チャンスはたった一回。

一発勝負。

蹴り上げそこなったら終わりである。

そして、失敗したら、今シーズン洋服は買いません。

靴下だって、下着だって買いません。

と、わたしは宣言した。

そして、先週土曜日。

公園に行きチャレンジした。

それも朝の7時である。

まだ筋肉も起きていない。

気分は上がらない。

わたしは軽くストレッチして鉄棒の前に立った。

3つ並んだ鉄棒の、いちばん低いやつ。

わたしは鉄棒を握った。

ひんやりとした感触。

なんかすべるかもしれん。

できるかな?

できるかな?

どきどきしてきた。

わたしの心の中に、うっすら不安が去来する。



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しかし、兄弟よ。(だれが兄弟よ?)

人生は一度きりだぜ。

チャンスがあれば、どんな状況でも全力を尽くせ。

あんなつらいときにも、耐えたじゃないか。(いつ?)

全力出さずに後悔すんじゃねえぞ。

鉄棒がすべるのだったら、しっかりとにぎったらええ。

イケるよ、イケる。

イケる気しかせえへんやろ。

わたしは大きく深呼吸して、しかちくのほうを向いて言った。

「いきます!」

体を前後にゆらし、足を軽くステップして、

左足に力を込めて踏ん張った。

右足が空を切って、大きく弧を描く。

左足もつられて弧を描く。

腕に力を入れて、鉄棒を引っ張る。

おなかが鉄棒に当たった瞬間、逆上がりをするときのあの感覚がよみがえり、

「これでイケる!」

と確信した。

足をそろえてくるりとまわった。

わたしの体が、ぎゅいんと回った。

「できた!」

わたしは叫んだ。

どうや!

どうや!

今年はオッケーや!

と、大声で叫びたかった。

たぶん卑弥呼もそういう感じだったんだろうと思った。(ほんまかいな)

今年のわたしも元気だと占えてよかった。

翌日。

ハッスルマッスルの「忍者」という舞台を見に行ったら。

跳び箱21段跳ぶ人がいたり、

椅子を何個も積み上げたものすごく高いところで逆立ちする中国雑技団の人がいたり、

肉体を使って日々がんばってる人を見たので、

わたしもまだまだがんばろうと思った。

いったい自分でも何を目指してるのかわからんようになってきたなあ。

それでは~


とりぶう
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