とりぶう の 宮古島日記

宮古島移住者の生活。いろいろなことがあるけど、基本的に楽しい方向で生きていく方針です。夫しかちくと認知症お義母さんとの3人暮らし。

2017年10月

母、気軽

みなさんこんにちは。

ハーフマラソン無事完走したよ~という話を、実家和歌山の母にLINEで知らせたところ。

喜んでくれたのはよかったのだけど、走った距離(21キロ)を聞いて、

「あんた、そんなムリしたらあかん!」

と、LINE電話がかかってきた。

いや、走り終わってから言う?

と思った。

母にしたらマラソンなどのしんどい行為は、百害あって一利なし、と思ってるのかもしれん。

それにしても。

母はけっこうLINE電話を使う。

古希を過ぎて久しいが、わたし以上にそういうとこは気軽である。





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しかし。

「え、そうだったん?そんなことがあったん?」

というようなけっこうフクザツで重い話は、わりと遅めにわたしに伝わるのだけど。

「そこはどうでもよくない?」

というような指摘は、すぐに伝えてくるのが『母あるある』だ。

マラソン走るのは嫌だけど、一度見てみたいという母。

東京オリンピックでマラソンを見たいという。

そうすると、東京までまた出かけてゆくことになり。

ほんと、そういうとこも気軽だよなあ。

それでは~


とりぶう

大将軍のマラソン

みなさんこんにちは。

きのう、マラソン大会だった。

わたしたちはハーフの部に参加。

かねてよりの懸案であった暑さは大丈夫だったものの。

風がモーレツだった。

ダイソンの掃除機みたいにすさまじかった。

とくに伊良部大橋の往路。

台風の残り風がすさまじく。

ランナーの足は遅々として進まない。

進まないこと、狂犬病の予防接種を察知し、行くのを嫌がる犬のごとし。

あるいは、殺虫剤をかけられたアリの行列みたいだった。

伊良部大橋は急勾配なので風が吹いてなくてもしんどいのに、

足が止まるほどの向かい風にひとびとの心は折れるのだった。

もういやだ、やめたい、とまりたい、

と、

思うことが、

今回は、

まるでなかった。

それどころか、わたしの中で、

「こんなことで負けてられるか!オレは天下の大将軍になるんだ!」

と信がさわいでしょうがなかった。

信てだれって?

マンガ、「キングダム」の主人公やんか。

知らん?

あそう。

おもしろいで。

少年の信が下僕から天下の大将軍になる(と思う)話。

マンガのいいところは、主人公が死なないところ。

どんだけ傷ついても痛めつけられても、死なない。

それを読んでると、やたら力がみなぎる。

力がみなぎって、ふだんの言葉遣いが変わってくる。

「うぬ(おまえ)が儂(わし)に闘いをいどもうなどとは、100年早いわ!」

的なことをいいはじめる。

やくざ映画を見たあとのオトコといっしょである。

そのため、最近の儂は力がみなぎっておったのじゃ。

だから、

なぬぅ、伊良部大橋ぃ?上等じゃあっ!

な気持ちになり。

復路の追い風は思いっきり飛ばし、

結果。

去年の記録よりも5分速くなった。

来年も大会前にはキングダムを読まねばならぬ。

と思った。

しかしながら、筋肉痛はものすごく。

今日はやんわりのウォーキングをしたのだけど。

いつも行く海辺の道で、奇妙なものを見かけた。

でっかいコンクリートの上にふわふわのまんまるのもの。




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まるまった犬だった。

放し飼いされてるのか、野良犬なのか知らないけれど。

よく見かけるおとなしい雌犬である。

それが日当たりのよいコンクリートのでっかいブロックの上でまるくなってた。

ふわふわなカタマリはわたしたちが通ると、少し顔をあげたものの。

すぐに顔をひっこめてまんまるなオブジェに戻った。

きっと気が済むまでそこでまんまるになってるのだろう。

風は強いが、のどかな午前だった。

好きで走ってはいるものの。

やはり一応の心と体の準備は必要であるマラソン大会。

それが終わったというだけで、見るものすべてが平和で間延びしたものに見えてくるんだなあ。

それでは~


とりぶう

ごちそうです

みなさんこんにちは。

台風による風が、う~~う~~とうなっている宮古島。

あさってのマラソン大会には弱まってくれるのを祈るばかり。

しかちくは向かい風になると、やたら速く走ろうとする。

なんかカチンとくるらしい。

わたしはそんな性癖はまるでないので、いっしょに走ろうといったのにおいてゆくしかちくの背中を、恨めしくにらみつけることになる。

無事完走できますように。

あとは神頼みの金曜日。

モコ日記です。






ぼくはモコです。

三代目文鳥です。

車や洋服にはまるでこだわらないし、お金もかけないしかちくさんととりぶうさんが、唯一こだわるものがあります。

それは食べ物です。

常々とりぶうさんはこういいます。

「好きなものが自由に食べられへんようになったら人生終わり」

日々健康に気をつかって運動に励むのも、ひとえに食べたいものを食べ続けるためなのだそうです。

それほど食べるということは、しかちくさんととりぶうさんにとって大事なことらしく、いつも宮古島のガイドブックを眺めては、

「次ここに行きたいな」

「この肉見て!」

「この海鮮丼ったら!」

などと目を輝かせています。

「ごちそう」というのは生きるうえでの目標とか糧とかやる気とか、そういうもののようです。






ごちそう 001





ぼくの場合は、ときどきもらう豆苗とか、米粒なんかがごちそうといえるのかもしれません。

でも、正直なところ、ふだんのごはんもおいしいので、特別「豆苗じゃなければ!」と思う瞬間はありません。

違う味だなあと思うだけです。

それでも、かごの中で食べるごはんと、放鳥してもらってかごの外で食べるごはんは違います。

うまく言えないけど、外では食べることすら遊びの中にある、みたいな感じがします。

同じものを食べるのであっても、だれとどこで食べるか、ということが大事なのかもしれません。






このところ日が昇るのが遅くなってきたので、モコの起きる時間も遅くなってきた。

野生の鳥たちもきっとそうなんだろうなあ。

それでは~


とりぶう

モノとの思い出

みなさんこんにちは。

おとといの夕方。

いつもお世話になってるクルマ屋さんから電話がかかってきた。

「このままでは車検が通らないです、今から見にきてもらえませんか?」

とのことだった。

まるで動物病院に預けた犬の具合がいよいよ危ないというような口調だった。

ああ、とうとうきたか。

と思った。

19年前。

娘うさQの出産前に購入した車が、いよいよ終わりを迎える。

当時、

「モノより思い出」

のキャッチコピーとともに、ファミリーで乗ることを前提として売られていた車。

団塊ジュニアと呼ばれるわたしたち世代がちょうど家族を持つころで、

そういう層にぴったりだった。

それまで親戚のおじさんのおさがりの車に乗っていたしかちくにとって、初めての新車だった。

正直、これほど長い付き合いになるとは思ってなかった。

その車に乗っていろんなところに行った。

春夏のキャンプ、実家の帰省、その他いろんなところに、たくさんの荷物と子供を乗せて、

車は走った。

わたしに一日に三回ぶつけられたこともあった。

それでも車は不満は言わなかった。(あたりまえ)

宮古島に来るときには、車内いっぱいぎゅうぎゅうに荷物を積み込んで、フェリーに乗せられた。

「なにわ」ナンバーが「沖縄」ナンバーになった。

沖縄は本州と違って、錆びる速度が速い。

風にはいつも塩がまじるのだ。

車は年々サビがひどくなってきた。

それでもどうにか車検はとおり、

「あと何年もつかな」

というのが車検のときの合言葉になった。

このごろではエンジンも弱くなり、いきおいよくアクセルを踏み込まないことには最初のエンジンがかからない。

まるで足腰の弱くなってきた農耕馬のようだった。

それでも毎週末、わたしたちは休みのたびに車に乗って出かけた。

風が強い日には、海を見ながら車の中で本を読むだけのこともあった。

車は乗り物であり、移動する部屋であった。

わたしたち家族の思い出をたくさん乗せてきた。





モノとの思い出 001





ほんとに馬のようで、生活からなくなることなど考えたこともなかった。

19年も同じ車に乗り続けるのは、今の日本ではあんまりないことかもしれない。

それだけ大事に乗ってきた、

ということはまるでなく。

いい加減に乗ってきた。

これは断言できる。

錆びてきたら、適当にペンキを塗り、

ぶつけて車体がへこんだとしても、そのまんま。

洗車されることも最近ではめったになくて、常にどろだらけだった。

日本の車としてはあるまじき扱われ方であった。

それでも車はけなげに動き続けた。

だから今回もどうにか大丈夫だろうと思っていた。

そして、これが最後の車検になるだろうと思っていたのだ。

でもサビが修復不可能なレベルにまできてるという。

きのう、しかちくが車を見に行って、あらためてそれを確認した。

唐突にお別れがやってきた。

車はモノであるので感情などはないけれども、それを所有するほうは何かしら感情を持つ。

勝手に持つ。

あのときもあのときもおまえといっしょだったよな、とかいう感情を勝手に持ってしまう。

泣くほどでもないのだけど、ひとつの時代が終わったような気がしてしまう。

モノとの思い出というのもあるのだなあ。

それでは~


とりぶう

似てないペアルック

みなさんこんにちは。

わたしとしかちくの顔のタイプはまるで違う。

わたしが一重切れ長の目なのに対し、しかちくは二重でまんまる。

わたしはしょうゆ顔だけど、しかちくはソース。

だからお互いの顔だちで似てる部分はほぼ皆無。

しかし、長い間同じものを食べ、同じリズムで生活していると。

雰囲気などは似てくるのかもしれん。

しかちくはもともと色白なひとだったのが、

長年の宮古島生活で今はかなり黒い。

そして、わたしはもともと地黒なのが、長年の宮古島生活で、

さらに黒い。

そのうえ、常に動きやすい恰好をモットーとしているので、ふたりとも年がら年中速乾性のTシャツ。

それだからか、今日。

知り合いに会ったとき、

「ペアルックみたい」

と言われた。




ペア? 001



わたしは青いTシャツにジーパン、しかちくは黒いTシャツ、黒い短パンであるのに。

ペアに見えたもよう。

なんだろう、林家ぺーさんとパー子さんが、ピンクを着ていなくても、ピンク着てる錯覚に陥るみたいなものだろうか。

案外、ひとは服そのものよりも、ざっくりしたテイストで見てるということがわかった。

ということは、おしゃれしてもおんなじということ。

たしかに、おばさんがいくら毎日違う服を着たとしても、テイストが同じであればいっしょの服に見えてしまうというのといっしょ。

人の印象を変えるというのは難しいもんなんだなあ。

それでは~


とりぶう
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