とりぶう の 宮古島日記

宮古島移住者の生活。いろいろなことがあるけど、基本的に楽しい方向で生きていく方針です。夫しかちくと認知症お義母さんとの3人暮らし。

2020年05月

隻眼の鳥です





みなさんこんにちは。

わたしは自転車で仕事に通うのだが、

行きと帰りで違う道を通る。

行きは中学校の横を通り、帰りは小学校の横を通る。

今日仕事帰り、小学校から一年生と思われるちびっこたちがわらわらと出てきて、

ひとりの男の子が、とても用心しながら横断歩道を渡っていて、

なごんだ。

生きてるだけでだれかをほっこりさせることもあるとわかった、

金曜日。

モコ日記です。











ぼくはモコです。

三代目文鳥です。

ぼくは一年前から左目が見えません。

しかちくさんととりぶうさんが言うには、

「モコの左目は輝きがない。右目よりも閉じてることが多い」

らしいです。

去年の換羽の時、抵抗力が落ちて、感染症か何かで視力を失ったのだろうということでした。

そんなこともあったかなあという感じなのでだけど、毎日よく食べて、元気です。

片目の生活にも慣れました。




片目だけど元気です 001





世の中には片目でも成功した人がたくさんいるらしいです。

伊達政宗さんとか、夏侯惇さんとか、ハンニバルさんとか、ぼくはまるで知らないけどすごいことをした有名なひとたちなのだそうです。

ぼくは両目だったときも片目のときも、それほど生活にかわりはありません。

ときどきバランスを崩すくらいです。

今日、とりぶうさんもしきりに片目を瞑っていました。

なんでも、

「シャワー浴びてて、頭洗うとき、気づいたら左目ばっかり瞑ってしまう。

ときどきは右目を瞑らないとバランスが悪くなる。

しまいに口がゆがむ」

のだそうです。

口がゆがむと何が悪いのかよくわからないけど、たとえば食べ物をこぼしたりするのかもしれません。

両目が見えても、いろいろ悩みはあるんだなあと思いました。











モコはひとりだけ部屋に残されて、違う部屋でひとの気配がすると

ものすごく鳴く。

鳴いてアピールする。

ちいさいのに存在感は大きいんだなあ。


それでは~



とりぶう


すばらしき漫画にノーベル賞を



みなさんこんにちは。

「鬼滅の刃」という漫画が、社会現象を起こすほど人気になり、

完結したため、伝説になるのではないかというほど、

人々の口に膾炙(かいしゃ)している。

もうあと2歳若かったら読んでたかもしれないけど、いまはその気力がない。

50歳近くなってその2歳必要?と思うかもしれないが。

2年前だったら息子カメ氏がまだ高校生で家にいたため、彼自身が買ってたか、あるいはめちゃめちゃオススメやから買った方がええと勧めたか、そのどちらかだと思うので、読んでた確率が高い。

なんでも鬼の話だという。

大正時代の鬼の話だという。

それだけ聞くと、あまり食指が動かない。

わたしは思った。

大正という短いうえに微妙な時代設定で、それも鬼と戦うという、グローバリズムのかけらもないドメスティックなマンガが社会現象になるのは、

ひとえに。

作者の力量による。

よくぞそんなストーリーを考えられたものだという、

ドラマ設定がすさまじく面白いのだと思う。

むかし、わたしは漫画家にあこがれた。

絵を描くのが好きだったため、漫画家になってお金を稼ぐというのは、ものすごく楽しそうに思えたのだ。

しかし、今、思うのは。

漫画家は絵がうまいというのは必要最低限の初歩の初歩であり、

彼らのすごさはそのストーリーの妙にあるのだ、と。

絵を描くというのは単なる表現方法であり、彼らが伝えたいことが強烈に人を揺さぶる内容であるから、面白くなるのだ、漫画は。

だから手塚治虫は古びない。

彼のメッセージがぎっしり詰まった漫画は、いまも人々を釘付けにする。

鉄腕アトムだってブラックジャックだって、火の鳥だって、

名作と言われるのは絵がうまいからじゃない。

ストリーがすばらしいからだ。

どれも読んだことはないけど。(ないんかい)

そのことに最近気づいた。

ストーリーが大切なことなど、当たり前やんけ、とアトムに怒られそうである。




当たり前やんけ 001





ちょっとまえに、ノーベル文学賞をトムブラウンが取った。

トムブラウンではなくてボブ・ディランだった。

トムブラウンは「だめー」でおなじみの漫才コンビだった。(そこ間違う?)

ボブ・ディランの詩がいいのだという。

ノーベル賞あげるレベルなのだという。

たしかに歌を聞いていて、いい詩に出会うと一生の友達になる。

この生きにくい世界で生きていける一筋の光明にすら思える。

歌を聞いていて、歌詞がすごいといい歌だと思う。

歌がうまいだけではだめなのだ。

歌詞が必要なのだ。

それは漫画と似てる。

絵がうまいだけではだめなのだ。

ストーリ―あってこそなのだ。

それをやってのける漫画家ってすごいな、とあらためて思う。

ノーベル文学賞を漫画家がとる未来が、たぶんそこまで来てると思うんだなあ。


それでは~



とりぶう

あの夏、中体連の思い出





みなさんこんにちは。

わたしの寝室から近くの中学校の校庭が見える。

今朝、6時過ぎ。

その校庭のトラックをかなりのスピードで走る数人の生徒がいた。

部活の朝練なのだろう。

去年までは当たり前に見られた光景なのだけど、ひさしぶりに見ることができ、

ふつうの日々に戻りつつあるのだな、と思った。

たぶん彼らは中体連にむけての練習なのだと思う。

気の毒なことだが、今年の中体連は中止になった。

高校野球も中止になり、オリンピックさえ延期になるご時世。

中体連が中止になるのも当然のことである。

そりゃあ仕方ないな、と思う。

しかし、そのために努力してきた子供たちにとってみたら、やるせなさが募るだろう。

ふと思い出した。

わたしの中体連の思い出。

わたしは中学のころ、人数ばかり多いが万年弱い軟式テニス部に所属していた。

中体連の地方大会でも一回戦負けがほとんど。

エントリーだけでも200近くのペアがいて、県大会に行けるのはベスト8以上。

県大会など夢物語だった。

中三の夏、なんの間違いか、わたしとKちゃんのペアがあれよあれよと勝ち進み、

あと一勝したら県大会、というベスト16のところまで勝ち進んだ。

ひとえにトーナメント運がよかったのと、Kちゃんの活躍によるところが大きい。

最後に対戦したのは県大会常連の強豪ペア。

パッと見、男である。

限界ぎりぎりまで髪を短くし、ふつう女子はスコートというミニスカートみたいなのを履くが、

彼女たちは短パン。

なぜそんなにいろいろ犠牲にしてしまったんだ?と聞きたくなるくらい、気合十分だった。

それまでラッキーパンチで勝ち進んだわたしたちは、案の定、ぼろ負けだった。

ぼろ負け過ぎて、悲しくもなかった。

一瞬、県大会がちらついただけでも青春の思い出ができたというものだ。

そう言い聞かせて、帰途についた。

ほかのメンバーは電車で一足先に帰ってたので、わたしとKちゃんは先生の車に乗せてもらって帰った。

帰りの車はあまりだれもしゃべらなかった。

わたしたちの夏が終わったというには、思ったよりもできてしまった自分たちに、いまさらながら戸惑った。

もうちょっとちゃんと練習してたら、あるいは県大会も夢ではなかったんではないか?

なんて都合のいいことを考える自分がいたが、対戦相手の男子さながらのカリアゲ頭を思い出し、いや自分たちはとうていその器ではなかった、と思い直した。

それでも、終わってしまってからすぐに、テニスをまだやりたいと思う自分がいた。

それは驚きだった。

夏休みも毎日のように部活に明け暮れ、弱かったくせにほとんど休みがなく、早くやめたいと思ってたのに。

それでもテニスをしてると楽しかったんだ、と終わってから初めて気づいた。

車の中でKちゃんは涙ぐんでいた。

ドキッとした。

Kちゃんは、泣くほど悔しかったんや。

勝てるわけがないなんて、いいかげんな気持ちで臨んでごめんな。

ものすごく謝りたかった。

でも何を言ったらよいのかわからなかった。

わたしはわたしなりに一生懸命でもあったのだ。

ベスト16になった誇らしさと、テニスが終わる悲しさと、よくやったというにはやり残した感がいっぱいのそのときの気持ちは、忘れられない。



きっと忘れない 001




中体連が中止になるという前代未聞の事態は、だれが悪いわけでもない。

悔しいのは言うまでもない。

きっと忘れられない思い出であることも言うまでもないのだが。

思うに。

大会がすべてなような気がしてたけど、のちのち思い返すと、部活で得たことは大会以外のことのほうがずっと多く。

結果を残せなくても、自分の中に「がんばった証」が確実に刻まれてる。

できたことよりも、できなかったことから学ぶことは多い。

そういうのを重ねて成長する。

コロナ自粛明けの朝練で走ってる子供らは、きっとこの夏を忘れない。

それを糧として強くなる。

そんな子供たちを見て、勇気づけられる大人もここにいるんだなあ。

それでは~


とりぶう

新しい歌をうたおう




みなさんこんにちは。

33歳を過ぎると新しい歌がなかなか覚えられないという。

ほんまかいな、と思っていた。

あたしはけっこう新しい歌、いける口やで。

現にカラオケで歌う歌も、「カブトムシ」やろ、「月光」やろ、「歌舞伎町の女王」やろ、

と並べ立ててみて、気づいた。

これらの歌、ぜんぜん、新しくないやん。

それらはすべてわたしが33歳以前の歌やんか、と。

びっくりした。

年取ると「最近」の守備範囲がめちゃめちゃ広くなる。

20年前くらいなら「最近」だし、1990年代なら「ちょっと前」。

2000年て、おどろくほど近未来やと思ってたけど、

ふた昔も前やし。

33歳以降新しい歌が入らない説、なかなか信憑性あるな、

と思っていたら。

このごろのしかちくは、Official髭男dismの曲を積極的に聞いている。

そしてひとりカラオケしてなさる。






新しい音楽 001







しかちくは33歳以降も、精力的に新しい音楽を取り入れ聞いている。

何度も何度も繰り返し聞いている。

その労力だけでも大したもんだと思う。

音楽を聴くという行為は、たしかに20代までは必須だったけど。

30代、40代になると、なくて普通、

50歳目前となると、あると苦痛、となる。

波の音と鳥の声でいいし。

と、思ってしまうのだ。

忙しくても忙しくなくてもそうなのだ。

だから、しかちくはよく新しい音楽を取り入れられるなあ、と感心する。

見た目はおじさん、中身は子供、なのかもしれんなあ。


それでは~


とりぶう


大学のもふもふ




みなさんこんにちは。

カメ氏の大学には野良猫がいるらしい。

野良猫といっても、かなりなついてる野良猫。

「餌付け禁止」の張り紙を清掃のおじさんが何枚も貼ってるらしいが、

猫たちのかわいらしさに負けて、だれかが餌付けしてるらしく、

悠々と生活してるらしい。

餌付けしたくなる気持ちはわからんでもない。

あいつらは、ほんま悪魔的にかわいいのだ。

もふもふのひきょう者め!と、もふもふを堪能しながら罵りたい。


もふもふはひきょう者 001




少し前には子猫も生まれたらしく、猫好きのカメ氏にはたまらん状況らしいのだ。

しかし、カメ氏は知ってしまった。

「餌付け禁止」の張り紙をせっせとしているおじさん自身が、

餌付けしていたことを!

カメ氏は、

「まさかの第一発見者が犯人だった的なやつ」

と嘆いていた。

こうなると、おじさんは猫を独り占めするために「餌付け禁止」としたのではないか疑惑が持ち上がってくる。

もふもふもひきょうだけど、それを堪能したいおじさんもひきょうなんだなあ。


それでは~


とりぶう

読者登録
ギャラリー
  • トリのバター焼き
  • 本棚の中身
  • とりぶう家の食卓15~たけかんむりに旬で筍なのだ
  • ぢっと腹を見る
  • 恩師がなくてもしっかり育つ
  • 長いロードの果てに
  • 意図せずパラシュートパンツ
  • とりぶう家の食卓14~昼食にタコライスという選択肢
楽天市場
アーカイブ
カテゴリー
楽天市場
  • ライブドアブログ