とりぶう の 宮古島日記

宮古島移住者の生活。いろいろなことがあるけど、基本的に楽しい方向で生きていく方針です。夫しかちくと認知症お義母さんとの3人暮らし。

GO!NAGO!GO!

宮ロック行ってきた!(2)






みなさんこんにちは。

宮ロックに行ってきた続きですが。

出場アーティストの中で知っているのがBIGINとMONGOL800だけ。

一番手のMONGOL800が終わったら、トリのひとつ手前のBIGINまでは6時間ほどある。

動くのも暑いし、一応、ほかのも見ることにする。

わたしたちがまるで知らないだけで、いずれ名のあるアーテイストらしく、

若者たちがワクワクしてるのがわかる。

そこに来ていた若者たちはよほど音楽好きで毎日聞いてるのか、

どのバンドの曲でもいっしょに歌っている。

よく覚えてるな。

と感心しきりであった。

わたしとしかちくは、

「どれもいっしょに聞こえるんやけど」

と、アイドルがどれもいっしょに見えるおじさんのような心境だった。

2番目に出てきたのは、MONOEYES。

わたしはずっと「マネ―ズ」と思っていて、

「マネ―ズ=お金って!あからさま名前やな。でもそういう直球勝負、嫌いじゃないよ」

と勝手にふむふむと頷いていたのが、「モノアイズ」だった。

なんでもかんでも金に見えてしまう自分が恥ずかしい。

読み間違いといえば。

BRAHMANというアーティストも。

わたしは「ブレーメン」だと思っていて、

「ははん、音楽好きのやつらが集まって、音楽隊を作った。
バンド名何にする?音楽隊といえば、ブレーメンっしょ?
ということでこの名前になったんやな」

と勝手にふむふむと頷いていたのが、「ブラフマン」だった。




ブレーメンじゃなかった 001




難しや~。

しかし、バンドのボーカルというひとびとはすごい。

盛り上げて鼓舞するのも上手だし、声帯が強い。

やっぱり若いアーティストはすごいな~

と感心していたら。

ブラフマンのボーカルのひとは46歳で、わたしと同世代ではないか。

こっちはすでに半分リタイアなのに、

あっちはまだまだ青春の途中みたいにみえる。

すごい人もいるものだなあ、と感心するのであった。

まだつづきます。

それでは~


とりぶう


宮ロック行ってきた!(1)




みなさんこんにちは。

年々、トイレが近くなると、年々、人混みが苦手になる。

トイレ並ぶんか~、と思うと、いきおい人混みを避けたくなる。

トイレ問題なんかなんのその!と思わせるような魅力的な人混み、というのがだんだんなくなってくる、というのもある。

だから年がら年中、おんなじ海沿いの公園で、ぼ~っとして過ごすのが休日の定番であった。

が。

そんなわたしたちが、意を決して、人混みに行ってきた。

なんと、ロックフェスに行ってきたのだ。

場所はいつもの海沿いの公園。

近場というのもとても魅力的なのだ。

いつもは静かなその場所が、その日ばかりはロックフェス会場になるのである。

毎年、有名なアーチストを招いて開かれる宮古島のロックフェスは、今年で第何回目かを迎える。(何回やねん?)

そして今年は沖縄の生ける伝説バンド、BIGINが出演するのだ!

BIGINはわたしが初めてCDを買ったアーチスト、

レコードではなく、CDを買ったのはBIGINが初めて。

大阪の東淀川商店街のレコード屋で「恋しくて」を買った。

まさにBIGINでCD生活BIGINなのだ。

それ以来、何枚も何枚も彼らはCDを出した。

そのたび、わたしは買う、

ことはなく。

静観していた。(なんじゃそれ)

しかしコマーシャルで流れる曲も多く、また沖縄の小学校の運動会で必ず演じられるエイサーは、BIGINの曲が多く使われている。

だからおなじみの曲が多い。

宮古島のロックフェスは毎年行われているが、わたしたちは、

「BIGINかミスチルかサザンが来たら行きたいな」

と常々言ってたのが。

来ることになった。

この機会を逃したらロックフェスに行くことは一生ないかもしれないと思い、前売りチケット購入。

その日を待った。

ちなみに、出演するアーチストは、BIGIN、他である。(他を言え)

音楽シーンにうといので、初めて聞くアーチストが多かったです。

かろうじてわたしが知ってるのは、MONGOL800、だけで、あと、

MONOEYES、UVERworld、04LIMITEDSAZABYS、BRAHMAN、CROSSFAITH、ELLEGARDEN

と、どう読むのかわからないアーチストがズラリ勢揃いだった。 

なかでも、ELLEGARDENのTシャツを着てる人がとても多かった。

グッズも大盛況らしく、

わたしたちの前のほうにいた女子は、

「タオル買っといたよ、売り切れる前に」

と友達のぶんも買ってあげていたので、

「エレガーデンて人気やねんなあ」

としみじみ言い合っていたら、読み方は「エレガーデン」じゃなくて、「エルレガーデン」なのだとか。

むずかし~。

こんど実家の母にでも教えてあげよう。(需要ある?)

さて、暑いさなか、お昼12時。

フェスが始まった。

MONGOL800が一番手。

聞いたことのある曲がいくつかあるので、わたしたちも安心である。

炎天下、とはいわないが、蒸し暑いお昼。

前のほうは満員電車状態。

わたしたちはうしろのほうで座りながら見ていた。

いきなりドラムの、

ズン!

という音が、心臓に響き、

ちょっとびくっとするのだった。





心臓が揺れた 001






つづきます。


それでは~



とりぶう



旅の終わりは次への始まり~GO!NAGO!GO!(14)



みなさんこんにちは。

名護の旅、14回目、最終回です。

平和祈念資料館とひめゆりの塔にゆき、
平和であることをしみじみとありがたく思ったあと、空港に行く。

3月に来た時には春休みということもあり、荷物預かりカウンターはおそろしいほど混んでいた。
それに懲りたので、今回は機内持ち込みOKサイズのバッグでやって来たのだけど。
こんなときはお約束のように、すいてた。
ちぇっ。

預ける荷物もないので、フードコートでビールでも飲むことにした。
それにしても。
今回の旅行で、自分の衰えを実感した。
なにがいちばん衰えたかというと、食欲である。

若いころのわたしは、どこに行っても空腹状態。
屋台でもカフェでも、なんでもかんでも「とりあえず食べよう!」くらいの勢いだった。
しかちくが全部食べられないときは、わたしが平らげてあげた。
食べぬなら、食べてあげよう、残り物
それくらいわたしは自分の食欲に自信があったのである。

それがどうだ。
今は回転ずしも7皿、ラーメンもスープを残す、昼ごはんはコンビニのサンドイッチで十分という体たらく。
情けない。
先日も、ご飯を食べに行ったとき、となりのテーブルのおばあ二人連れに負けてた。
完敗だった。

その店はごはんとスープとサラダが食べ放題なのだが、わたしは一度もおかわりに行けなかったのだが、おばあは大盛をおかわりしてた。
ごはん大盛2杯。
男子高校生並みである。
戦後、強くなったのは女性と靴下(ストッキング)だと言われてきたが。
あの二人のおばあの胃袋は、戦後、強くなり続けていると思われた。

中途半端な時間なのでお腹が空いていない。
ビールだけ注文した。
中途半端な時間でも、以前のわたしの胃袋はラーメンくらい平気だったのだけど。
かえすがえすも情けない。

さて、平日の午後3時のフードコートは空いていた。
混んでいるときには座るところがなく、席を確保するのが大変なのだけど、
そのときはガラガラで、思う存分ゆったりできた。
見回してみると、やはり中国人や韓国人の観光客が多い。
しかし、このごろは見た目だけでは日本人と区別がつかなくなった。
いままでなら服装だけでズバリと国籍がわかったのだけど、いまはみんなそんなに違いがない。
若い子はなおさらである。

げんに、わたしたちの斜め後ろのテーブルに座っていた若い女の子の二人連れ、
最初は日本人だと思っていたが、会話の内容がなにひとつ入ってこない。
わかりにくい方言やなあ、くらいに思っていたのだが。
まさかの中国語だった。
中国語ならもっとけたたましいはずだ、という固定観念があったのだけど、彼女たちはひっそりと中国語で会話していた。
静かな中国語というものもあるんやな。
時代は流れてゆくのだ。

わたしたちがそんな会話をしていると。
けたたましい集団がやってきた。
30代くらいの夫婦と子ども(小学生くらいと乳飲み子)嫁の両親、弟、妹の家族旅行らしかった。
この集団が、なぜかわたしたちのテーブルを取り囲むように陣取る。
小学生の子どもが持っている恐竜ブックから韓国人であることがわかった。
わちゃちゃちゃ、と大きな荷物をドサッと置いて、わたしたちの後ろと横のテーブルに座るのである。

ちょっと、なぜ、ここに?
ほかにいくらでも席、空いてるで?
むこう、ぜーんぶ、ガラガラでっせ?

そう言いたかったが、かれらはすでにくつろぎはじめ、動く気配はなかった。
観察していると、けたたましいのは嫁ひとり。
8人分のけたたましさを一手に引き受けていた。
マグロの競りか、と思った。
その嫁、身長は175センチくらいあり、横幅もなかなか。
家族のだれよりも大きかった。
嫁を中心にその集団は回っているらしく、命令されて注文しに行く夫と弟。
遠くまでよく響く大声で、「○○、××、△△!」と命令。
アイアイサーとばかりに素直に従う夫と弟。
またこの弟が見事にキャップをかぶった猪八戒という感じだった。
手下感がすごい。
たぶん姉に歯向かうことなど考えたこともないんやろうな。

姉は前に抱っこひもで乳飲み子をくっつけているのだけど、乳飲み子が小さく感じられた。
テーブルの横に仁王立ちになり、命令を下すその様は、さながら女将軍であった。





女将軍 001




女将軍は命令を終えると、やれやれとばかりに違うテーブル座った両親に話しかける。
位置的に、かれらはわたしたちのテーブルをはさんで会話することになり、傍目にはわたしたちも女将軍の配下と思われたであろう。
せっかくのんびりくつろいでいたのだけど、女将軍一家の出現で安穏としていられなくなり、そこを離れて待合に行くことにした。

飛行機は予定どおり離陸し、予定通り宮古島に着いた。
宮古島は沖縄本島よりも湿度も温度も高く感じられた。

あー、宮古についたらほっとするわー。
旅行から帰ってきて、開口一番、出るのはこのセリフ。

宮古島はいま、急速に変化している。
人気の観光地として注目を集めているのだとか。
それでも、やっぱりまだまだのどかで、空が広くてサトウキビはざわわとしてる。

子どもが巣立ち、夫婦二人旅のはじまりである。
待ち望んでいた状態なのだけど、思ったよりも体力と食欲が衰えていて、がっかりすることもある。
だったらゆっくり旅行したらいいのだけど。
次回も、その次もまた歩き回って修行の旅になるんだろう。
そしてその旅の仕方は、わたしたちが一緒に旅行しはじめた学生時代から変わらず、
それがわたしたちにとっての旅なのかもしれないなあ。


おわり。

それでは~


とりぶう


令和に平和を考える~GO!NAGO!GO!(13)





みなさんこんにちは。

名護の旅、13回目です。

マラソン以外でも、毎日毎日歩き回り、
ほぼ修行状態な旅行も最終日。

飛行機が夕方なので、午前中どこか行こうということになった。
那覇空港からそれほど遠くないところで、まだ行ったことない観光地・・・
と考えて、平和祈念公園とひめゆりの塔に行くことにした。

子どもたちも小学校の修学旅行、平和祈念公園に行き、平和の礎を訪れたとか。
平和の礎は「へいわのいしじ」と読む。
太平洋戦争の沖縄戦で亡くなった人の名前を記した碑である。
名前は敵も味方も関係なく刻まれている。

沖縄県民となって13年目。
ここらへんでしっかり沖縄戦の実態を知り、平和を享受できるよろこびをかみしめなければいけないのではないか。
うっすらと、きな臭くなってゆく世界情勢。
平和しか知らないわたしたちにできることは、平和を維持する努力である。
そういうことを、年とともに思うようになった。

小学生のころ、夏休みのさなかに必ず3回登校日があって、うち1回は平和教育だった。
生々しい体験談を聞かされたり、おそろしげな戦争物話を読まされたりするのはあまりうれしいことではなく、
「戦争があかんのはもうわかったから」
と半ばうんざりしたものだった。
それでなくても昭和。
まだ戦争経験者がたくさんいて、しょっちゅう戦争の恐ろしさを語られた。

しかし。
あのころは、語るほうもまだ戦争を客観的に見ることができなかった。
とにかく「戦争はあかん」の一点張りだった。
戦争の前後で180度変わった常識を、自分の中で日常にするには、前を向くしかなかったのだろう。
戦争を忘れたい。
一刻も早く戦争のにおいを消し去りたい。
時代の流れは、戦争のにおいがするものを古臭い前時代的なものとみなす傾向にあった。

苦しくて汚く重苦しいあの戦争は忘れて、平和できれいでお気楽な世の中に。
早く、早く。
そういう風潮しかなかった。

だから「戦争はあかん」と言われるたび、
反論するつもりはないが、すすんで学びたいことでもない、と思っていた。
いや、できるなら戦争にまつわる話はしたくない、とすら思っていた。

しかしながら、人は成長とともに食の好みが変わるように、考えも変わる。
戦争話を聞きたくなかったのが、今はむしろ知りたいという気持ちがある。
子どものころ語られつくした戦争の悲惨さを、大人になった今、どういう気持ちで受け止めるのだろう。
そう考えた。
のと、たんに午前中で行けるという短絡的な気持ちだった。

さて。
平和祈念公園やひめゆりの塔は観光地でもあり、バスの便もいいはず。
名護からいったん那覇バスターミナルにゆき、糸満市の平和祈念公園にはすぐに行けるだろうと思っていた。
が。

那覇バスターミナルで行き方を聞いたら、
「えーと、○○番のバスでまず糸満バスターミナルまで行っていただいて、そこから○○線に乗り換えて・・・」
となんだかややこしい。
「直通はないんですか?」
と聞くと、
「申し訳ありません、直通はないんです」
と、係の男性は自分の非であるかのごとく、丁寧に謝ってくれた。
そして、
「乗りかえたあとのバスは、申し訳ありません、あちらの○○バスさんの運航ですので、詳しいことはあちらで聞いていただけますか」
と、わざわざ外に出て案内してくれた。
こんな丁寧な対応ばかりだったら、戦争は起こらんと思った。

言われた通り、バスに乗り、糸満ターミナルまで来る。
那覇や名護と違って、糸満はあんまり観光観光してないように思えた。
バスターミナルも時代が止まってる?と思うくらい、のんびりとした感じ。
古き良き昭和、の「良き」を抜いた感じの建物。(失礼やろ)
植木等が勤めていそうなおもむきがあった。

平和祈念公園もひめゆりの塔も観光地であり、全国から来る修学旅行生たちは、まずここに行くというくらいのところ。
しかし直通のバスを待つひとは少なかった。
そのうえ、バスの本数も少なかった。
1時間に1本レベル。
ほんまにこれで合ってるんやんな?
と、じゃっかん不安になりながらも、あとからやってきた老夫婦に、
「これはひめゆりの塔に行きます?」
と聞かれたら、
「はい、行きますよ」
と自信満々に答えたのであった。

不勉強なわたしは知らなかったのだけど。
平和祈念公園とひめゆりの塔は、同じところにはない。
てっきり平和祈念公園の中に平和の礎とひめゆりの塔があると思っていたが違った。
歩いて行くのがしんどいくらいの距離である。

ひめゆりの塔は、イメージと違い、めっちゃ観光地化していた。
土産物屋のおばちゃんが、
「これ、安いよ、お兄ちゃん、絶対、これよ!」
と大きな声で呼び込みし、客を奪い合っている。
戦争は終わったが、そこは客の奪い合いの戦場であった。
そのストリートだけ見たら、ここが戦争の悲惨さを伝えるところだとは露ほどにも思わないだろう。

わたしたちはとりあえず、先に平和祈念公園に行くことにした。
広大な敷地に名前を刻んだ碑。
丘の上には立派な平和祈念資料館。
かなりでっかい。

路線バスで降りたのはわたしたちと、もうひとりの青年だけだったので、人はそんなにいないだろうと思ったら、ものすごくたくさんの修学旅行生や観光客がいた。
こんなにたくさん来るのだったら、もっと路線バス、使ったって。
なぜかバス会社目線で思ってしまうのだった。

ところで。
わたしたちは旅行中であるからして、でかい荷物を持っている。
しかちくはリュックなので持ち運びしやすいが、わたしはボストンバッグである。
非常にやっかいだ。
重い荷物を持ち歩いて資料館を見るのもなあ。
ロッカーに預けようか。
わたしが荷物問題に頭を悩ませていると、しかちくが、
「そこらへんに置いといたらええやん。みんな置いてるで」
という。
見ると、修学旅行生の荷物がひとまとめにして置かれている。
そこの端っこにいっしょに置いといたら?というのだった。

「えー、もし修学旅行生が先に出て、この荷物の持ち主は?てことになったらいややんかー」
「じゃあどうするん」
「えー」
迷った挙句、
「持っていく」
ことにした。
こうなったらもう修行と腹をくくる。

なかなかの重さのボストンバッグを抱えて資料館に入る。
目を覆う資料の数々。
涙が出そうになる。
悲惨を超えている。
そういうのを見るにつけ、

この荷物なんて、屁みたいなもんやな。
と思うのだった。





この荷物なんてへみたいなもん 001




よーし、こうなったら、ひめゆりの塔でも修行や!
戦争のしんどさに比べたら、荷物なんて!
わたしは腹をくくっていた。
のだが。
ひめゆりの塔資料館に行き、受付の人に、
「よかったらお荷物預かりますよ」
と言われたら、
「そうですか!よかった、お願いします!」
と二つ返事で差し出したのだった。

つづく

それでは~


とりぶう


完全制覇!ターザンスイング~GO!NAGO!GO!(12)




みなさんこんにちは。

名護の旅、12回目です。

大人が全身で楽しめるフォレストアドベンチャー。
なかでも、山の谷間を滑るジップライドはほんとうに爽快。
「ほんとうに、そうかい?」
と聞かれたら、
「ほんとうにそうかい!」
とだれもが答えるだろう。(くだらんやりとり)

しかし、である。
美人は三日で飽きると同様、ジップライドも慣れてくる。
じょじょに最初の爽快感は薄れてくる。
あんなに楽しみだったのに!と自分に言い聞かせながら滑るのだが、滑ってる最中の頭の中ではまるで別のことを考えていたりして、もはや移動手段。
カラビナをつないでは滑り、つないでは滑り、なんだか仕事のようにも思えてくるのだった。

なんでも早め早めがモットーのしかちくは、自分が滑り終わり、わたしが滑って着地するのを確認するとすぐさま、「ハイ、次」とばかりにさっさと行ってしまう。
楽しかったなー、
いまの長かったなー、
などの会話もなく、ひたすら前へ前へ。
ちょっとあんた、西部開拓時代のアメリカ人かよ、と突っ込みたかった。
しかし突っ込みたくても当のしかちくはすでに次のコースでまさに滑ってゆかんとす状態。
も~、もっとじっくり楽しもうぜ~、
というわたしの心の叫びが届くことはなかった。

すると。

中間くらいのところで、二手にわかれており、しかちくはまちがったほうを行こうとしている。
「そっちとちがうんちゃう?」
と、わたしが指摘すると、
あー、やってもうたー、時間損したー
みたいな顔をしている。
いやあんた、これ競争じゃないから。
ちょっとくらい寄り道したっていいじゃないの、中年だもの。
げんに中年中期の、マユミ(仮)ヨシオ(仮)カップルは姿もみえないじゃないの。

わたしはここぞとばかりにしかちくより先に滑ることにした。
ジューーーーーー―
あー、やっぱり爽快~。
滑りを堪能し、次のコースに行こうとしたらカラビナが腰からはずれない。
スタッフさんが、カラビナがぶらんぶらんしないように、T字のフックにしっかりとひっかけ装着しておいてくださいね~、というのをいい加減に聞き、かつ、T字のフックにいい加減にひっかけていたため、このざま。
しかちくとふたり奮闘したものの、はずれず、近くで作業していたスタッフさんの助けを借りてようやくカラビナははずれた。
結局、それ以来またしかちくが先に行くようになったのはいうまでもない。

さて。
ジップライド以外にもいろんなアスレチックを体験し、いよいよクライマックス。
これができたら完全制覇!というターザンスイング。
これは高さ30メートルのところかそれこそターザンよろしく向こう側の網まで飛び移るという、このコース最大の難所。

何が怖いってその高さ。
外国人カップルもそこで長いこと足踏みしている。
ジョーイ(仮)のほうはためらいながらも、「オーマイゴッシュ!」と叫びながら成功。
まあまあ、それはそうである。
見るからにこのなかで一番動けそうなのが彼なのだ。
次に彼女ナンシー(仮)の番である。

が。
このナンシー(仮)、ものすごくこわがるのである。
「うそやん!こんな高いん!?聞いてないよー!むり、あたしぜったい、むり!」
「いけるってナンシー(仮)!きみならできる!」
「むりむりむり、ちょっと高すぎる!あーかみさま!」
たぶんこんなやりとりがあった。
「カウントダウンしたら?」
と提案するマユミ(仮)。
いつの間にか追いついていて、即、鬼のような発言。
しかし、
「ぜったいカウントダウンはやめて!」
ごねるナンシー(仮)。
みんなの中に、
はやく飛んでくれへんかな~
という気分が広がり。
その後、ずいぶん躊躇した挙句、ついに、
彼女は断念した。
まじか。
そんな怖いんか。

わたしはびびった。
しかしわたしに飛ばないという選択肢はなかった。
なぜならこのチャンスを逃したら二度と飛べない気がしたからだ。
ナンシー(仮)の次、しかちくが、
「おーこわ!」
と叫ぶと、ナンシー(仮)は、
「そうやろ?ほらみろ」
みたいなことを言った。
しかし、しかちくは飛んだ。
おーーーー
歓声が上がる。

他人のを見てるといけそうな気がする。
しかしいざその場に立ってみると、足がすくむ。
一歩前に出ないと、手に持つ綱がつかめないのだが、その一歩がめっちゃこわい。
「もう一歩前へ!」
「もうちょっと前へ!」
スガシカオの歌の歌詞みたいな声援を受け、わたしは深呼吸した。
できる、できる、できる、わたしは自分に言い聞かせていた。
できるだけ下を見ないようにして、
まずこれをつかんで、つぎにこれをはめて、そのつぎこっちをはめて、
と手順を確認。
怖がるヒマを自分に与えず、
「いきまーす!」
と言って飛んだ。

その瞬間のことはよく覚えていない。
体がぐらりと揺れて、すごい勢いで風が過ぎて行き、目の前にはもうつかまる綱があった。
一瞬のできごとだった。
綱をがしっとつかんだとき、
「やったー!」
と心の中で叫んだ。
中年後期、まだまだいけるんちゃう!?
気分が高揚してしかたなかった。

そのできごとだけで、わたしはまだまだ大丈夫、とすらおもえた。
飛んでる間は怖くない。
飛ぶ前が一番怖い。
無事、チャレンジできた自分をおおいにほめたのだった。

すべてのコースが終了し、記念撮影してくれるという。
係のお姉さんが、
「ターザンスイングできました?」
と聞く。
わたしは5歳児のように胸をはって、
「できました!」
と元気よく答えた。
「じゃあ完全制覇です」
そう言って「完全制覇」と書かれたプラカードを持たせてくれた。

目の端にナンシー(仮)がいるのがわかり、
彼女はどのプラカードで記念写真を撮ったんやろ?
などと考えるのだった。

さんざん遊んだ~と思ったがまだ午前中。
もっとゆっくり回ったらよかった。



まだ午前 001





そういえば、マユミ(仮)もヨシオ(仮)も、無事ターザンスイングを飛べてた。
実はだれでもできるんやなあ。



つづく

それでは~


とりぶう


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