とりぶう の 宮古島日記

宮古島移住者の生活。いろいろなことがあるけど、基本的に楽しい方向で生きていく方針です。夫しかちくと認知症お義母さんとの3人暮らし。

思うんですが

ひきょうトリオ





みなさんこんにちは。

夏に現れる虫、蚊、ゴキブリ、セミは。

一生懸命生きてるけれども嫌われる。

セミは子どもに好かれたりもするが、

騒音がすさまじく、大人になると好き加減がだいぶ減る。

一生懸命生きてるけれども嫌われるものがいる一方、

生きてるだけで好かれるものもいる。

パンダ、

ペンギン、

ラッコ。

これらは「かわいい」というだけで一点突破。

やることなすこと、肯定されるのだ。

蚊やゴキブリやセミは声を大にして言いたいと思っている。

「ひきょうもの!」

と。

「ひきょうものトリオめ!」

と。




ひきょうトリオ





かくいうわたしも、しょっちゅうラッコ動画を見てしまう。

鳥羽水族館のラッコのメイちゃんがかわいすぎて、モノマネすらしてしまう。

ラッコは別に自分のことをかわいいなど思っていない。

人間が勝手にかわいいかわいいとまつりあげているだけなのだ。

ラッコはラッコで一生懸命生きているだけなのだ。

パンダもペンギンも、自分たちのやるべきことを粛々とやっているだけで、

「人間にかわいがられよう」

などと思ってはいない。

なのにかわいがられてしまう。

蚊やゴキブリやセミは思う。

「別にかわいがられなくてもいいけど、なぜ嫌われなければならないのか」

と。

不公平だ。

不公平な世の中だ。

わたしは平等を愛する人間なので、このことはゆゆしき事態だと思っている。

思ってはいるが、ラッコやパンダやペンギンの動画を見るとただただかわいいと思ってしまう。

ひきょうトリオはなにかしら人を骨抜きにしてしまう要素があるに違いなく。

これが宇宙人の仕業とかだったら、大変なことだなあ、

と、思ってしまう8月の終わりなのだった。


それでは~


とりぶう

東京オリンピックといえば毎回これ言う




みなさんこんにちは。

「ゼルダの伝説」の新作「ティアーズオブザキングダム」、通称「ティアキン」を購入し、

日々いそしむしかちく。

前作よりもだいぶスケールがアップし、

「とりやんだったら1年はかかる」

と、なんでか知らんけど自分だったら3か月でクリアみたいな目線で語って来られる毎日。

わたしもやりたいのはやまやまだが、「ゼルダの伝説 大地の汽笛」をプレイ中の身の上、

これをクリアするまでは「ティアキン」には手を出さないと決めているので、

ちょっとずつ「大地の~」を攻略している。

というのも、もし「ティアキン」に手を出してしまったら、あまりのおもしろさに「大地の~」をやらなくなるだろうと思うからだ。

そうなったら「大地の~」がかわいそうだ。

わたしはいろんなものに愛をそそいでいるのだ。

さて、それくらいおもしろいゲームを、いくつもいくつも開発している日本。

日本のゲームやアニメが世界のトップを走っているのは言うまでもなく、

いつかは抜かれるときがあるかもしれないが、

その礎を作ったのは日本、というのはだれも異論がないと思う。

だからこそ、思う。

いまさらだけど、思う。

なぜ東京オリンピックの開閉会式をゲームやアニメに頼らなかったのか?

と。

リオデジャネイロオリンピックの閉会式に、安倍首相がマリオとして出てきたとき、

「リオの閉会式でこれだったら、東京オリンピックのときにはさぞすごいものがでてくるのではないか?」

と期待に胸を膨らませたのは、わたしだけではないはず。

コロナ禍でいろいろあっただろうけど、世界中が期待したのは、

スーパーマリオであり、ワンピースであったんじゃないか?

こんなに世界を引っ張ってるホットな文化を持ってるのに、

なんでなんで、

なんでなんで、

なんでなん?

WHY?JAPANESE PEOPLE!

と、ジャパニーズのわたしでも思う。



why?ジャパニーズピーポー!




あの開閉会式がどうのこうのというのではなく。

ゲームとアニメでクールジャパンをやるんじゃなかったん?

そのための安倍マリオじゃなかったん?

という気がしてならなかったのだ。

オリンピックに関する汚職のニュースを見るたび、

「この人たちが開会式や閉会式からゲームとアニメを排除したんだ」

という目で見てしまう。

違うかもしれんけど、どうしても偏見に満ち満ちた目で見てしまう。

「スーパーマリオの映画が大人気」という記事を見ても、

東京オリンピックの開閉会式を思い出して、

「あの人たちが面白くなくしてしまったんだ」

と偏見みちみちタイムに入る。

2年たってもまだしっかりと残念に思っている。

このままでは次のパリオリンピックでも、

「あのとき、開閉会式にゲームとアニメを出しとけば・・・」

と思い出すだろう。

そしてそれは4年に1度、オリンピックの年の恒例になるに違いなく、

このブログを続けていれば、そのたびに、

「東京オリンピックの開閉会式で・・・」

という記事を偏見みちみちで書くと思うんだなあ。

それでは~


とりぶう

シン・




みなさんこんにちは。

庵野秀明さんが監督する「シン・ゴジラ」「シン・エヴァンゲリオン」「シン・ウルトラマン」ときて、

「シン・仮面ライダー」。

このままだったら、「シン・のらくろ」まで行くんちゃう?

と思っている。

いや、こうなったら「シン・桃太郎」「シン・浦島太郎」まで行ってもらいたい。

はっ。

むかしむかし、すでに「シン」がついてるものがある。

「シン・古今和歌集」(新古今和歌集や)

わはははは。

それはどうでもいいとして。

「シン」て、上手につけたなと思う。

「新」の意味だけではなく、見る人にいろんな解釈をしてもらいたいので、あえてカタカナにしたらしい。

ずっしり重石のような存在感もあるし、刷新のイメージもあるし、静寂の様子も感じられる。

旧来のものよりも、各段に進化したんやろな、と思わせられる響きなのだ。





シンとりぶう




「シン・〇〇」はいまのところかっこいい感じで売れているが。

使われ過ぎたら怖いのは「ニュー」の二の舞になることである。

新しいという意味の「ニュー」は、たぶんそれをつけ始めた当初は、

「かっこいい!」

「おしゃれ!」

な響きだったのだろうが。

今、「ニュー・〇〇」と聞くと、

「昭和の遺産的ホテルなのかな」

「看板がさびてそうな気がする」

というようなイメージがある。

「ニュー」なのに「古い」イメージしか思いつかんのだ。

かろうじて「ネオ」というのはまだセーフな感じもあるが、それも時間の問題。

「ニュー」も「ネオ」も響きが新しくないとなったら、

「シン」以後、どんなことばが新しさを表すのだろうなあ。

それでは~


とりぶう


中米って混みすぎちゃう?




みなさんこんにちは。

死ぬまでにこれだけはやっておきたい、

ということは人それぞれあるだろうが。

わたしの場合、「世界のすべての国の名前を覚えること」というのがそれであった。

思い立ってから1年ほど。

すでに200あまりの国と地域を覚えてしまった。

ああ、死ぬまでにやることがもうない。(しょぼい人生)

ところで。

WBCのニュースで、出場国を見るたびに思うことがある。

「中米って混みすぎちゃう?」

と。

北米大陸は、カナダ、アメリカ合衆国、メキシコと大国が上にどんと鎮座している。

そして大陸の先っぽ、南米大陸とのつなぎ目のところに、たくさんの国があり、

島国も含めると、20もの国がごちゃごちゃとひしめいてるのだ。

大陸に3つしかなくて、しっぽみたいな部分と島で20個て、

もう一度言うが、

中米って混みすぎちゃう?




中米って混みすぎちゃう?




そんな小さな国ばかりの中、ニカラグアやパナマ、ドミニカ共和国などがWBCに出場してるのがすごいなと思う。

ちなみに、

中米には、ドミニカ共和国とドミニカ国というのがあって、WBCに出てるのはドミニカ共和国のほうである。

ややこしすぎへん?

また、プエルトリコは実は国ではなく地域である。

アメリカ合衆国の自治領なのだ。

めっちゃ国の顔してるのに。

と、いうように。

中米は知らないことがいっぱいだけど、

野球はすごく盛んだということに親近感を感じるんだなあ。

それでは~


とりぶう

簡易ぜんざいは文明のきわみ




みなさんこんにちは。

飛行機が南太平洋の不思議な島に墜落し、生き残った人々のドラマを描く

アメリカの人気ドラマ「LOST」で、

わたしがいちばん印象に残っているのは。

外科医の主人公の協力を得るため、敵側が主人公所望のチーズバーガーを作って差し出す場面。

ファーストフードなど手に入らないような無人に近い島で、

一頭、牛を潰してまで作ったチーズバーガー。

ああ、チーズバーガーって文明のきわみの食べ物だったのだなあ、

と、

しみじみ自分のいる世界のありがたさを感じる名場面だったのだが。

(ちなみに本筋にはほとんど関係のないエピソードである)

このごろ、わたしはそのような「文明のきわみ」を感じている。

それは餅とあんこ。

餅好きのわたしのために、わが家にはパックの切り餅を常備している。

このあいだ、ふと、

「あんこ買おう」

と思い立ち、袋入りのあんこを購入。

切り餅を2個ないし3個、ひたひたに水を張った器に入れて、電子レンジでぷっくら膨らむまでチンする。

用心しながらある程度お湯を捨て、

袋入りあんこをにゅるっとのせてできあがり。

簡易ぜんざい。

これが、もう、感動的なうまさ!

シンプルこの上ないうす甘い餅が、極上の和スイーツとなる。

カラフルな洋菓子の派手さとは真逆の、

禅の境地を感じる白と黒。

いろんな材料が複雑にからみあったハーモニーとは真逆の、

材料が限定的な味。

これがほんまにもう、

「うまっ!」

と目を見開くくらいなのだ。

あらためて、簡単に作れる簡易ぜんざいに、

「文明のきわみ」

を感じるのであった。




文明のきわみ




もし無人島でこれを作ろうとしたら、

もち米を育て、

小豆を育て、

サトウキビを育て、

収穫まで長い期間を経て、

ようやくありつけると思うと、

ものの数分でできる現代は、

ええ時代やと思うんだなあ。

それでは~


とりぶう

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